
「家」という小宇宙、そして人生の「夕」
「百年文庫081 夕」ポプラ社
百年文庫第81巻を読み終えました。
あまりなじみのない日本の作家三人の、
端正なたたずまいを見せる三作品です。
〔「百年文庫081 夕」〕
悲しき配分 鷹野つぎ
家の中 中里恒子
入江のほとり 正宗白鳥
「悲しき配分 鷹野つぎ」
「家を空っぽにも
できませんでしょう。」
然う云ったが、
ひとりでに彼の女の眼には、
自分のこの言葉を
哀しむ涙がにじみ上ってきた。
それは当然のことではないか。
恐らく其の時、
自分は彼等と楽しみを
等しくする事はできないで…。

〔「悲しき配分」味わいどころ〕
①「現実」とそこからの「逃避」と
②家族における「愛情」と「責任」
③具体的な「母」、象徴的な「父」
「家の中 中里恒子」
鳥獣蟲魚それぞれに、
棲家をもつてゐる。それは
一種のテリトリイであつて、
他者が理由なく侵入したり、
棲みこんだいして来ない。
一應安心してゐられる
場所である。
わたしにも、テリトリイがある。
それは家である。
日がな一日…。

〔「家の中」味わいどころ〕
①「私小説」としての「深掘りされる心理」
②「随筆」としての「独特で静謐な観察眼」
③読み手の心に静かに染み込む「空気感」
「入江のほとり 正宗白鳥」
長兄の榮一が
奈良から出した繪葉書は
三人の弟と二人の妹の
手から手へ渡つた。
が、勝代の外には誰れも
興を寄せて見る者はなかつた。
「何處へ行つても枯野で寂しい。
二三日大阪で遊んで、
十日ごろに歸省するつもりだ。」
と書いてある…。

〔「入江のほとり」味わいどころ〕
①「変人」扱いされる人間の内面
②不寛容な「無理解社会」の悲哀
③「家族」が最も残酷になる空間
本書の味わいどころ①
テリトリー「家」における孤独
三作品すべてにおいて、
「家」は単なる居住場所ではなく、
個人の内面や孤独が純化される
重要な空間、つまり
「テリトリー」として描かれています。
「悲しき配分」の桂子は、
夫の不在中に一人で子供を育てる、
いわゆる「ワンオペ状態」の
過酷な日常の中で、
生活の基盤である家を守る
重責に苦しみ、
「家を空っぽにできない」という
切実な思いを抱えています。
「家の中」では、
著者は自分の持ち家を「棲家」と呼び、
テリトリーとしての家を
肯定しています。
孤独を「寂寥」ではなく
一つの「境地」として
描き出している点が特徴です。
「入江のほとり」では、
大家族の中で暮らす辰男にとって、
自室の「机」が
唯一の安らげる場所であり、
家族から疎外されながらも
独学の英語に耽ることで
自らの世界を守ろうとしているのです。
本書の味わいどころ②
日常の「微細なもの」への観察
三作品には、派手な事件や
起伏の激しい筋書きはありません。
その代わりに、
日常の何気ない事物や風景に
焦点を当てることで、
読者の心に静かに染み入る
味わいを生んでいます。
「家の中」では、庭の草木や差し込む光、
古びた家具の質感といった
「微細なもの」が、記憶の代弁者として
上質な静物画のように描かれています。
「悲しき配分」も
展開の乏しい筋書きですが、
夫が持ってきた
子ども用の新しい洋服という
ささやかなきっかけから、
家族の負担や愛情の衝突といった
複雑な心情が
鮮明に浮かび上がっています。
「入江のほとり」においても、
電灯が村に引かれるという日常の話題や
夕食の団欒の場面を通じて、
家族間の微妙な温度差や
辰男の絶望的な断絶が
浮き彫りにされているのです。
本書の味わいどころ③
内面的な「心の揺らぎ」の昇華
三作品に共通する最も深い味わいは、
作者自身の経験や内面が投影された
「私小説的」な純度の高さにあります。
「入江のほとり」は、
正宗白鳥自身の生家を
モデルにしており、
身辺の事相を無造作に書き流したような
スタイルでありながら、
明治・大正期の知識人の疎外感を
見事に捉えています。
「家の中」は、
私小説的な深掘りと
随筆特有の軽やかさが融合しており、
老いや孤独という重いテーマを、
徹底的に磨き上げられた言葉によって
高い芸術性にまで昇華させています。
「悲しき配分」も、
家族という共同体が抱える不公平さや
「分け方の難しさ」に苦しむ
女性の複雑な心情を、
私小説的なリアリティをもって
鮮明に描き出しています。
このように、三作品は
「家」という小宇宙における
個人の孤独や、
日常の断片に宿る真実味を、
静謐かつ鋭い筆致で描いている点に
共通の面白さがあります。
さて、これら三作品を収めた
「夕」という巻は、
単なる時間帯を指すのではなく、
「家という小宇宙に閉じこもることで
見える、人間の内面的な孤独や停滞、
あるいはそこから生まれる
静かな美学」をテーマにしていると
考えられます。
「悲しき配分」は、
家族の絆という美名の裏にある、
個人の「夕」であり、それは「影」と
置き換えることのできるものです。
「家の中」は、
孤独を自らのテリトリーとして統べる、
凛とした「夕」であり、
「晩年」もしくは
「悟り」といったところでしょうか。
「入江のほとり」は、
土地と家系に縛られた男の、
逃げ場のない「夕」。
「ヤミ」に近いものが
あるのかもしれません。
このように、三作品は異なる角度から、
人生の「夕」という深遠なテーマを
照らし出しているのです。
三人の作家とも、リアル書店の書棚では
もう見かけることのない
存在となってしまいました。
忘れ去るには惜しい、
宝物のような逸品ばかりです。
ぜひご賞味ください。
(2026.7.8)
〔鷹野つぎの作品について〕
本書以外に、
鷹野つぎの作品を収録した書籍は
現在流通していません。
青空文庫でも、以下の四作品しか
読むことができない状況です。
「草藪」
「時」
「窓」
「虫干し」
〔中里恒子の本はいかがですか〕
〔青空文庫〕
「入江のほとり」(正宗白鳥)
(新字新仮名)
(旧字旧仮名)
〔正宗白鳥の本はいかがですか〕
〔関連記事:百年文庫〕



〔百年文庫はいかが〕

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