
どこかユーモラスで滑稽な「怪奇幻想小説」
「コーヒー沸かし」
(ゴーチェ/田辺貞之助訳)
(「死霊の恋・ポンペイ夜話 他三篇」)
岩波文庫
時計が十一時を打った。
最後の振動が
いつまでもひびいていた。
そして、それが
まったく消えたとき……
いや、だめだ!
そのとき起こったことは
言いたくない。
誰も信用せずに、
ぼくを狂人だと思うだろうから。
蠟燭が何本も自然に…。
「死霊の恋」における
息をのむような妖艶さや、
「ポンペイ夜話」に見られる
美しくロマンチックな異世界幻想。
そうしたものに魅了されたあとに
本作品に触れると、
その軽妙さや、
どこかユーモラスで滑稽な手触りに
驚かされます。
ゴーチェの「コーヒー沸かし」です。
〔主要登場人物〕
「ぼく」(テオドール)
…語り手。画家。
恐怖の一夜を体験する。
アンジェラ
…真夜中に現れた女性の亡霊。
その美しさに「ぼく」は一目惚れする。
アリゴ・コイック、ペドリノ・ボルニオ
…「ぼく」の画家なかま。
本作品「コーヒー沸かし」は、ゴーチェの
「作家としての出発点」であり、
後年の重厚な怪奇幻想小説へと至る
「実験室」のような、
きわめて重要な位置づけにあります。
本作品がなぜ
「恐怖感がなく、どこか滑稽なのか」、
そしてゴーチェのキャリアにおいて
どう位置づけられるのかを
紐解いてみると、
本作品の味わいどころが見えてきます。
本作品の味わいどころ①
若々しさとパロディ精神
本作品「コーヒー沸かし」は、
ゴーチェが1831年(わずか20歳頃)に
執筆した、
最初期(処女作)の幻想小説です。
当時のフランス文壇は、
ドイツのE.T.A.ホフマンの怪奇小説が
大流行していました。
若いゴーチェも
その影響を強く受けていますが、
最初からそれを
そのまま真似るのではなく、
「流行りの怪奇小説を少し
パロディ化してやろう」という悪戯心を
持って書かれたもののようです。
真夜中に部屋の家具や
タペストリーの人物たちが
動き出すという設定自体は、
当時の怪奇小説の「お約束」ですが、
絵画から抜け出した人物たちの
ユーモラスな風貌や、
コーヒー沸かしなどの家具調度が
突然動き出したりする描写には、
恐怖よりも人形劇を見るような
ユーモアが漂います。
この「おかしみ」は、
当時のホフマン風怪奇ブームに対する、
ゴーチェなりの批評精神と
若き遊び心の表れと
とらえるべきなのでしょう。
本作品の味わいどころ②
「芸術至上主義」の芽生え
本作品は滑稽でありながら、後半、
美女アンジェラと「ぼく」が
ワルツを踊る場面から、
一気にゴーチェらしい「美への陶酔」へと
加速していきます。
ここで重要なのは、
主人公が恐怖で狂うのではなく、
「現実よりも、芸術の世界の方が
圧倒的に美しく、素晴らしい」と
感じている点です。
これは後年のゴーチェが提唱する
「芸術のための芸術」(芸術至上主義)の
コアとなる思想です。
本作品「コーヒー沸かし」では、
亡霊と思われる美女と踊り、
覚めると壊れたコーヒー沸かしが
残ります。
これはどこかユーモラスであるとともに
哀愁が感じられます。
しかしこれが「死霊の恋」になると、
「異界の美への執着」がさらに純化され、
命を削るほどの濃厚なエロティシズムと
悪魔的な恐怖へと昇華されるのです。
つまり、「コーヒー沸かし」で試された
「絵画や骨董品が命を得て、
現実の境界線が滲む」という
モチーフが、より洗練され、
エロティックで本格的な恐怖と美へ
発展したのが「死霊の恋」なのです。
本作品の味わいどころ③
絵画風視覚的アプローチ
ゴーチェはもともと
画家を目指していたため、彼の小説は
「言葉で描かれた絵画」と評されます。
「コーヒー沸かし」というタイトルや、
真夜中の部屋に差し込む月光、
揺れる炎の描写は、
17世紀オランダの風俗画である
レンブラントやフェルメールのような
明暗法を強く意識していると
考えられます。
本作品は、
恐怖を煽るオカルトとしてではなく、
「視覚的に面白い幻想的な絵画を、
文章でどう表現するか」という、
画家出身のゴーチェらしい
映像的な実験作でもあったのです。
夜の魔法のような軽妙さ、
芸術的イメージがふっと命を持つ瞬間、
そして朝の「醒め」のほろ苦さ、
それらが絶妙に混ざった作品である
「コーヒー沸かし」。
怪奇幻想の巨匠ゴーチェの中でも
少し異色な本作品を、
ぜひご賞味ください。
〔ラヴェル「子どもと魔法」との関わり〕
本作品を読んだとき、
ラヴェルの「子どもと魔法」のような
情景を思い浮かべたのですが、
その台本と本作品には
何も関係はないのか、気になりました。
真夜中に部屋の調度品
(椅子やティーポット、時計)が
次々と動き出して歌い、
踊り出すファンタジックで
どこか奇妙な情景は、
まさに「コーヒー沸かし」の世界観と
見事に共鳴しているからです。
結論から言うと、
「子供と魔法」の台本と
ゴーチェの「コーヒー沸かし」が
どこかで直接的に結び付いている
わけではありませんでした。
しかし、文学的・文化的な系譜として、
この二つの作品は
「地続きの深い繋がり」を持っています。
「子供と魔法」の台本を書いたのは、
20世紀フランスの偉大な女性作家・
コレットです。
コレット自身が「コーヒー沸かし」を
ピンポイントで意識して書いたという
公式な記録は見当たりません。
しかし彼女をはじめとする
19世紀末〜20世紀初頭の
フランスの作家たちにとって、
テオフィル・ゴーチェは
「フランス幻想文学の基礎を築いた
大先輩」であり、
教養として当然のように
血肉化されている存在だったはずです。
部屋の中の無機質な日常品が
夜中に命を得て動き出すという
モチーフは、
ゴーチェが「コーヒー沸かし」で
フランス文学に持ち込み、
のちにコレットが「子供と魔法」で
「ウェッジウッドのティーポットと
中国の茶碗のダンス」として、
よりモダンで洗練された形で
開花させたものと考えられます。
直接の模倣ではなくとも、
ゴーチェが蒔いた
「器物の生命化」という幻想の種が、
約90年の時を経て
コレットとラヴェルの手によって
音楽劇へと進化した、という
幸福な文学的系譜が見て取れます。
(2026.7.15)
〔「死霊の恋・ポンペイ夜話 他三篇」〕
死霊の恋
ポンペイ夜話
二人一役
コーヒー沸かし
オニュフリユス



〔ゴーチェの本はいかがですか〕
「ゴーティエ」と
表記されているものもあり、
検索に注意が必要です。
現在流通しているのは、
岩波文庫と光文社古典新訳文庫の
二冊のみのようです。
と思ったら、密かに以下のような
3冊が出版されていました。

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