
歴史改変、そして反転する「入れ子構造」
「名残の雪」(眉村卓)
(「思いあがりの夏」)角川文庫
雑誌社の守衛・伊藤が、
暴漢に撃たれて亡くなる。
親しかった社員の「ぼく」は
彼の家を訪問するが、
そこで彼の妻から
遺品の原稿を手渡される。
そこには彼の過去における
不思議な体験と、
現在とは異なる
大国となった日本が記されて…。
眉村卓の「名残の雪」。
作品集の表題と
なっていないにもかかわらず、
作者の作品ベストに
数えられるだけでなく、
SF短篇の傑作という
評価の高い作品です。
1977年のNHK少年ドラマシリーズ
「幕末未来人」の原作にもなりましたが、
単なるタイム・スリップSFでは
ありません。
〔主要登場人物〕※本作品は入れ子構造
(額縁部分)
「ぼく」
…語り手。雑誌社の社員。
亡くなった伊藤の遺した原稿を読む。
伊藤良平
…雑誌社の守衛。
暴漢に撃たれて亡くなる。
(本編部分)
「私」(伊藤良平)
…語り手。
二度のタイムスリップを経験する。
和田隆
…「私」の友人。
幕末へのタイムスリップ後、
浪人に斬り捨てられる。
仙吉
…「私」を助けた岡っ引き。
樫岡穣
…和田を斬った浪人。
沖田総司
…新撰組の一人。
「私」を新撰組に引き入れる。
近藤勇、井上源三郎、土方歳三
…新撰組のメンバー。
桂小五郎
…新撰組に殺害される。
本作品の味わいどころ①
歴史を改編する主人公
物語の主人公(本編の語り手「私」)は、
高度経済成長を遂げて
物質的に豊かになった現代
(昭和50年前後)の日本に
どこか馴染めず、
一種の「精神的空虚さ」や違和感を
抱いていました。
その人物が幕末へタイムスリップし、
結果的に歴史を書き換えてしまいます。
本作品が発表された1970年代は、
日本が奇跡的な経済復興を
遂げた一方で、
公害問題や都市化による人間性の喪失、
熱狂的な学生運動の挫折など、
「このままの日本で本当に
良かったのだろうか」という懐疑の念が
知識人や若者の間に
広がっていた時期でした。
眉村卓は「インサイダー文学」
(組織や日常の内側から人間を描く)の
旗手であり、現代社会の歪みを
敏感に捉える作家です。
70年代の読み手の目線に立つと
本作品は、単なる歴史冒険譚ではなく、
「現代日本のあり方を問い直す
批評性を持ったSF」として
迫ってくるはずです。
また、現在においてこの要素は、
いわゆる「架空戦記」や
「if(もしも)の世界」を描く
ポップカルチャーの非常に洗練された
源流として捉えることが可能です。
現代(2020年代)の私たちは、
本作品発表のさらにその先の
バブル崩壊や長期停滞(失われた30年)を
経験しているため、
「もしあの時、
違う選択をしていたら…」という、
二人の語り手「ぼく」「私」の
抱いた違和感は、
70年代以上に切実なリアリティを持って
私たちの心に響いてくるのです。
本作品の味わいどころ②
反転する「入れ子構造」
本作品は「入れ子構造」です。
読み手が「現実」だと思って安心していた
額縁部分(現代の日常)こそが、
実は改変された後の
「パラレルワールド」(異世界)であり、
作中の本編で描かれた
幕末の改変結果だったというラストは
見事な「SF的仕掛け」として
完成しています。
本作品発表当時の日本のSF界は、
単なる「空想科学小説」から、
人間の認識や存在そのものを揺るがす
「本格SF」へと進化する過渡期でした。
本作品「名残の雪」の仕掛けは、まさに
「センス・オブ・ワンダー」
(日常がひっくり返る驚き)の
教科書のような扱いを受けたようです。
「私たちが生きている
この昭和の日本こそが、
正史ではないのかもしれない」という
恐怖と地続きの快感は、
発表から半世紀過ぎた現代においても、
読み手に強烈な
パラダイムシフトを迫ってくるのです。
今や無数のライトノベルやアニメで
「世界線の移動」や「偽の日常」という
モチーフは飽和しています。
しかし、だからこそ現在の視点では、
「70年代という早い段階で、
これほど無駄のない短編の形式で、
叙述トリック的なプロットを
完成させていた驚異的な先駆性」は、
高く評価されてしかるべきです。
今読んでも
まったく古さを感じさせないのは、
プロットの美しさと、
仕掛けが単なるビックリ箱ではなく、
主人公の「名残惜しさ」という感情に
美しく着地しているからと考えます。
本作品の味わいどころ③
表題が示す歴史の残滓
表題「名残の雪」とは、春が来ているのに
冬の名残として降る雪のことです。
作品(本編部分)の舞台である「幕末」は、
まさに何百年も続いた
徳川の時代(冬)が終わり、
近代日本(春)へと生まれ変わる
巨大な転換期でした。
「私」は、
変わりゆく幕末という時代の中で、
消え去ろうとする過去の日本(冬)に
強い愛着を抱き、
激動の歴史に介入します。
この「新しい時代(春)が来る直前に、
消えゆく古い時代(冬)を惜しむ」という
構図そのものが、
まさに名残の雪なのです。
「私」は、高度経済成長を遂げた
現代日本にどこか馴染めず、
精神的な空虚さを抱えて
過去(幕末)へ滑り落ちてしまいました。
「私」が残した原稿(手記)は、
「私」自身の壮絶な
アイデンティティーでありながら、
しかし公表しても誰も信じることはなく
はかなく消え去る運命なのです。
そこにもまた「名残の雪」が
暗喩として機能しています。
そして世界観が反転する結末。
「読み手が無条件に信じていた世界」
「語り手「私」が違和感を抱いていた世界」
「歴史改変後の世界」、
これらがすべて「名残の雪」のように、
どれが本物か判然としない
儚さを帯びてくるのです。
それはきわて詩的で、かつ冷徹な
SF的レトリックとなっているのです。
70年代の空気に触れながら読むと、
本作品「名残の雪」は、
「ありきたりのタイム・スリップSF」でも
「古典的SF」でもなく、
「当時の最先端の実験」として
立ち上がってくるのです。
現代の私たちが「定番」だと思っている
「SF的仕掛け」が、
実はその時代に初めて
形になりつつあった、
その瞬間の手触りが伝わってくる
作品だと思います。
そして、そうした背景を知ったうえで
読み返すと、
短い物語の中に潜んでいる
「構造の美しさ」や「時代への距離感」が、
まるで早春の空に舞う
「名残の雪」のように
静かに浮かび上がってくるのです。
収録されている作品集は
すでに絶版であり、作品自体が
「名残の雪」となってしまっています。
古書や図書館活用で、
ぜひご賞味ください。
(2026.7.17)
〔「思いあがりの夏」角川文庫〕
島から来た男
名残の雪
“あした”のために
思いあがりの夏
子供ばんざい
〔関連記事:眉村卓の作品〕
「なぞの転校生」(1967)
「侵された都市」(1967)
「まぼろしのペンフレンド」(1970)
「テスト」(1970)
「時間戦士」(1970)
「さすらいの終幕」(1970)
「ねらわれた学園」(1973)
「0からきた敵」(1973)
「ねじれた町」(1974)
「地獄の才能」(1975)
「閉ざされた時間割」(1977)
「少女」(1977)
「白い不等式」(1978)
「原っぱのリーダー」(1992)
〔角川文庫・眉村卓作品〕

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