
「私」はなぜ死ななければならなかったのか?
「一少女の告白」
(プルースト/窪田般彌訳)
(「楽しみと日々」)福武文庫
私がお話しするのは
これが最後というわけでは
ありません。
前にも申し上げましたが、
惜しいところで
死にそこねたのです。
充分に狙いは
つけた筈でしたのに、
引金の引き方が
うまくなかったのです。でも、
弾丸は取り出せなかった…。
「乙女の告白」
(プルースト/鈴木道彦訳)
(「百年文庫072 蕾」)ポプラ社
お話しするのは
これが最後ではありません。
前にも申し上げたように、
私はもう少しで
自殺し損なうところでした。
狙いはよくつけたのですが、
引金のひき方が悪かったのです。
しかし、弾丸を剔出することは
できなかったのですし…。
〔はじめに〕
フランスの小説家
マルセル・プルーストといえば、
全7篇、3,000頁にもおよぶ畢生の大作
「失われた時を求めて」の作者として
有名です。
そちらは退職して
時間に余裕ができてから
読もうと思っているのですが、
まずは短篇から、と思い
目をつけたのが本作品です。
二十歳の女性の告白体であり、
語り手の未熟でありながらも
激しく揺れ動くような心情が
印象的です。
作品結末の一節を抜粋しましたが、
語り手「私」が自ら命を絶つその瞬間の
懺悔にも似た告白を描いた作品です。
「私」はなぜ
死ななければならなかったのか?
それを考えることが、本作品の
味わいどころにつながっていくのです。
〔主要登場人物〕
「私」
…語り手。二十歳の女性。
拳銃自殺をし、手記を残す。
「お母さま」…「私」の母親。
〔本作品の味わいどころについて〕
19世紀末のフランス上流社会の
道徳観を考えれば、
「不倫や行きずりの情事など、
世間にばれず、
社交のルールを壊さなければ問題ない」
という、ある種のダブルスタンダードが
広く通底していたのは事実です。
のちの「失われた時を求めて」においても
既婚者たちの不倫や情事は
日常茶飯事として
描かれているようです。
それにもかかわらず、なぜ本作の「私」が
死を選ばなければならなかったのか。
ここには、当時の「社会的なモラル」とは
まったく別次元にある、
プルースト特有の
「心理的・宗教的な断絶」が
大きく関係しています。
本作品の味わいどころ①
「私」の全世界としての「お母さま」
「不倫もばれなければOK」。
しかし、語り手「私」にとって、
世間の目や社会的な体面などは
どうでもいいことだったのです。
彼女にとっての絶対的な道徳、
神にも等しい裁き手は「お母さま」
ただ一人だったと考えられます。
世間に対していくら隠し通せても、
自分の「世界のすべて」であり
「良心の根源」である母親に
その醜態を見られてしまった。
それによって母親のなかの
「清らかな娘」というイメージを
永遠に破壊してしまったことが、
彼女にとっての精神的な破滅を
意味したのだと捉えるべきでしょう。
本作品の味わいどころ②
「母親殺し」という決定的な罪悪感
もし母親に目撃されただけで、
母親が激怒しつつも生きていれば、
「私」は死を
選ばなかったかもしれません。
しかし作中において、
情事を目撃した母親は
ショックでその場で倒れ、
亡くなってしまいます。
社会的なルールでは
「ばれなければOKの浮気」だったはずの
行為が、少女にとっては
「自分の肉欲のせいで、
最愛の母親の命を奪ってしまった」
(いわゆる尊属殺害)という、
取り返しのつかない大罪へ
一瞬にして変貌してしまったのです。
このあまりに重すぎる罪の意識が、
彼女に「死」以外の選択肢を
なくさせたと考えられます。
本作品の味わいどころ③
プルースト自身の心象風景の投影
この作品には若きプルースト自身の
「母への歪んだ愛着と罪悪感」が、
恐ろしいほど生々しく
投影されているといわれています。
プルーストは生涯、母親に対して
異常なほど強い
依存心を持っていました。
と同時に、
自分が同性愛者であることや、
夜な夜な不道徳な歓楽街に
出入りしていること、
つまり母親の望む
「立派なカトリックの紳士」に
なれないことに対して、
激しい自己嫌悪を抱いていたことが
知られています。
「自分が快楽を貪っている姿を、
もし母親が見たらどう思うか。
きっとショックで死んでしまうだろう。
そして自分は
母殺しの罪人になるのだ」。
この、プルーストが
現実の生活で抱えていた
「母を裏切っている」という密かな恐怖と
マゾヒスティックな罪悪感。
それが、本作の少女の姿を借りて、
「二十歳の女性の割に、あまりに過剰で、
おぞましいほどの絶望」として
表現されていると考えられるのです。
〔いくつかの疑問点を味わう〕
①唯一名前を与えられている「ジャック」
本作品には、
「私」「お母さま」「従兄」など、
登場人物に名前が与えられていない中、
ただ一人、
自殺の直接的原因をつくった青年には
「ジャック」という
固有名詞が与えられています。
奇妙な違和感があります。
語り手「私」にとって、
「お母さま」や「従兄」、
そして自分自身が過ごす世界は、
かつては
「内省的で、純粋で、神聖な場所」
でした。
名前をあえて与えないことで、
彼らは具体的な個人というよりも、
少女の精神世界における
「良心」「純粋」「道徳」といった普遍的な
概念の象徴のようになっています。
一方で「ジャック」という名前は、
当時のフランスでは非常にありふれた、
世俗的な男性の名前です。彼にだけ
固有の名前が与えられているのは、
彼が少女の純粋な精神世界の
住人ではなく、外部から侵入してきた
「冷酷な現実」「世俗の誘惑」「官能的な悪」
そのものであることを際立たせるため、
という解釈が
一般的にはなされているようです。
名前があるからこそ、
彼は生々しい「他者」として
少女の前に立ちはだかってくると
捉えるべきなのでしょう。
その一方で、
文学史や伝記的な側面からも
アプローチが試みられているようです。
当時20代前半だったプルーストには、
ジャック・ビゼーという同い年の
親しい友人がいました。
彼ジャックはオペラ「カルメン」の
作曲家ジョルジュ・ビゼーの息子で、
プルーストが熱烈な憧れと
複雑な愛憎を抱いていた人物です。
ジャックは社交界の
プレイボーイであり、
プルーストをしばしば拒絶したり、
彼の繊細な感情を
弄んだりしたといわれています。
プルーストは、この作品の中で
「ジャック」という男を、
「他人の神聖な領域を土足で踏みにじり
少女を破滅させる不道徳な男」として
描くことで、
現実のジャック・ビゼーに対する
個人的な復讐心や、
彼の持つ危険な魅力を変奏して
表現したのではないか、とも
考えられています。
②「死ぬまでにあと一週間はかかる」謎
本作品の語り手「私」は、
拳銃自殺を行い、しかし
「死ぬまでにあと一週間はかかる」と
記しています。
ここにも違和感を感じます。
急所を外したとしても失血死であれば、
一週間もの時間はかからず、
絶命するはずです。
ここにも何か象徴的な
「意味」があるはずです。
カトリックの伝統的な価値観において、
「神の前ですべての罪を告白し、
赦しを乞うこと」(告白・懺悔)は、
魂が救済されるために
不可欠なプロセスです。
もし「私」が即死してしまっていたら、
彼女は「母親を殺した大罪人」のまま
地獄へ落ちることになります。
彼女に一週間の猶予が与えられたのは、
この物語のタイトルでもある
「告白」を書き残すため、すなわち、
自らの罪の全貌を克明に告白し、
精神的な浄化を得るための
「神から与えられた猶予期間」という
象徴的な意味が考えられます。
もう一つの残酷な側面として、
この一週間は「私」に対する
「罰の引き延ばし」でもありえるのです。
彼女は今、「お母さま」が息を引き取った
まさにその部屋のベッドに
横たわっています。
かつては母親の愛に包まれていた
聖なる空間が、
今は自分が犯した罪の現場であり、
母親の記憶と
対峙し続けなければならない監獄へと
変わってしまいました。
「即死」という「救い」すら与えられず、
「自分が壊してしまった楽園」の中で、
じわじわと死に向かいながら
罪の重さを噛み締め続けるという、
最も過酷な精神的刑罰が、
この「一週間」という
引き延ばされた時間に象徴されていると
捉えることが可能なのです。
プルーストにとって、
肉体的な生死のリアリズム、
例えば失血死の速度などは
二の次だったのでしょう。
それよりも、
「極限状態に置かれた人間の魂が、
死を前にしてどのように過去を回想し、
言語化するか」という
心理的・精神的なリアリティを
描くことこそが、
この散文詩のような作品における
絶対のルールだったと考えられます。
〔おわりに〕
本作品に描かれている
「神に等しい母親」という状況は、
創作のレベルを遥かに超えた
プルースト自身の人生、
そして彼の精神そのものが
恐ろしいほど色濃く反映されています。
プルーストは幼少期から
極度の喘息持ちで、
非常に神経質な子どもでした。
そのため、母ジャンヌは彼を
過保護なほど溺愛し、
プルーストもまた母親の愛なしには
一日も生きられないほどの
異常な依存関係を築きます。
彼にとって母親は、
自分のすべての行動が
正しいか間違っているかを判定する
「絶対的な倫理の基準」、
つまり神にも等しい存在だったのです。
大人になってからも彼は、
母親に毎日のように手紙を書き、
自分の体調や行動を細かく報告し、
母の機嫌を損ねることを
何よりも恐れていたとされています。
しかしプルーストは、
母親の理想とする「立派な紳士」の枠から
はみ出していきました。
彼は自分が同性愛者であること、
そして夜な夜な不道徳な歓楽街や
社交場に出入りしていることに、
激しい自己嫌悪を抱いていたようです。
母親を神のように
崇拝していればいるほど、
「自分は母を騙している」
「母の知らないところで、
自分は肉欲という悪徳に耽っている」
という秘密が、
プルーストの心に巨大な罪悪感として
澱のように溜まっていったのでしょう。
これがまさに、本作品における
「婚約者のいる身でありながら、
母に隠れてジャックと情事に耽る少女」
の心理的な構図と完全に一致します。
性別こそ「二十歳の女性」に
変えられていますが、
「母を裏切って肉欲に溺れる罪悪感」は、
プルースト自身の生々しい叫び
そのものだったと考えられるのです。
その叫びこそ、本作品の
真の味わいどころといえるでしょう。
ぜひご賞味ください。
(2026.7.22)
〔「楽しみと日々」福武文庫〕
序文・献辞
ド・シルヴァニイ子爵
ヴィオラントあるいは世俗の華
イタリア喜劇断章
ブゥヴァルとペキュシェの
世俗趣味と音楽狂
ド・ブレーヴ夫人の
メランコリックな別荘暮し
画家と音楽家たちの肖像
一少女の告白
町での晩餐
悔恨・夢想・時の色
嫉妬の終り
訳者あとがき
〔「百年文庫072 蕾」ポプラ社〕
心臓 小川国夫
蟹 龍胆寺雄
乙女の告白 プルースト
〔プルーストの本はいかがですか〕

【今日のさらにお薦め3作品】



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