
葉山嘉樹が作中で「戦っていたもの」の正体
「子を護る」(葉山嘉樹)
(「葉山嘉樹短篇小説選集」)郷土出版社
(「百年文庫073 子」)ポプラ社
農村は健康の
適地であるかと云えば、
そうであるかもしれないが、
現に私の背中で四つの女の児は、
吐く息引く息を忙しげに苦しげに
呼吸しているのだった。
私という幹から出た若芽が
霜害に会うと、
快復してやる力が
ないのだった…。
〔はじめに〕
「葉山嘉樹短篇小説選集」の
末尾に収録された作品「子を護る」。
「セメント樽の中の手紙」や
「淫売婦」などの
インパクトの強い初期作品とは異なり、
地味で静かな、しかし激しい息づかいの
「抵抗の文学」となっています。
「農村に移り住んで生活している
作家」という設定から考えると、
語り手「私」=作家自身であることは
明らかです。
一読すればわかるのですが、
「私」は「何かと戦っている」ような
印象を受けます。
いったい何と戦っているのか?
それを考えることが、本作品の
味わいどころにつながるはずです。
〔本作品の味わいどころについて〕
この時代の多くの作品と同じように、
一見すると
「貧困」と戦っているようにも思えます。
しかし「貧しさ」だけが理由ならば
農村生活をやめればいいのです。
しかし「私」はそこに留まり、
張り詰めたように
「何か」と戦っているのです。
この違和感を紐解くには、
葉山嘉樹という作家が抱えていた
「二つの深い傷痕」と、
当時の彼にとって
「書くこと・生きること」が
何を意味していたかを
考える必要がありそうです。
本作品の味わいどころ①
過去の悲劇への「雪辱」としての戦い
葉山嘉樹の生涯において、
最も決定的なトラウマは
「我が子の餓死」です。
大正末期、プロレタリア作家として
世に出る前後の極貧時代、
彼は幼い子供二人を相次いで
病気と栄養失調で亡くしています。
この時、医者を呼ぶ金もなく、
満足な食べ物も与えられずに
死なせてしまったことへの
慙愧の念と後悔は、
彼の生涯に暗い影を落とし続けました。
本作品で描かれる
「僻村での我が子の急病、
そして夜を徹して医者を呼びに走る
猛烈な執念」は、
単なる目の前の危機への
対処ではありません。
今度こそ、自分の手で
我が子を絶対に死なせない、という
過去の自分に対する痛烈な
雪辱戦(リベンジ)なのです。
だからこそ、その描写は
「何かと戦っている」ような、
異様なまでの緊迫感を帯びていると
考えられるのです。
本作品の味わいどころ②
自身の「社会的精神的孤立」との戦い
なぜ東京での作家生活を辞め、
わざわざ信州の僻村(山口村)へ
移り住んだのか。
それは単に生活費を
下げるためだけでなく、
「時代の濁流から、家族と自分の尊厳を
匿うため」だったと解釈されています。
当時の日本は第二次近衛内閣のもと、
総力戦体制へと突き進んでいました。
思想統制は極まり、
かつて労働者の味方として
華々しく活躍した
「プロレタリア文学の旗手・葉山嘉樹」の
居場所は、
中央の文壇にも都会の社会にも、
どこにもありませんでした。
彼にとって農村への移住は、
敗北や逃避ではなく、
「時代の狂気にこれ以上
巻き込まれないための、
積極的な籠城」だったといえます。
都会にいれば、時局に迎合した
国策文学を書かされるか、
完全に黙殺されるかしかない。
だからこそ、彼は「半農半文」の
不便な生活にあえて身を投じ、
時代の速度に
抵抗しようとしたのでしょう。
本作品の味わいどころ③
「作家として生きていく」ための戦い
作中の「私」が帯びている
ピリピリとした戦闘的な空気は、
「書く人間としての牙を失うことへの
恐怖」と考えることもできそうです。
日々、土にまみれ、肉体を酷使し、
貧しさと向き合う生活は、
一歩間違えれば
「ただ生きるだけで精一杯の人間」になり
作家としての精神を
摩滅させてしまうはずです。
「私」が自らの置かれた状況を冷徹に、
リアリズムの目で観察し、
言葉に定着させようとしている
姿勢そのものが、
「私はまだ生活に負けていない、
まだ作家である」という
自意識の戦いともいえるのです。
〔おわりに〕
語り手「私」は、
「冷酷な自然」や「貧しさ」そのものと
対峙していたというよりは、
「かつて我が子を救えなかった
無力な過去の自分」と戦い、かつ、
「戦時下の狂った時代において、
作家としての自身を維持する」ための
戦いを挑んでいたと考えられるのです。
峠の向こうの診療所へひた走る
「私」の姿は、
時代の閉塞感を文字通り肉体一つで
突破しようとする、
孤独な文学者の最後の抵抗の姿です。
そうしたイメージを念頭に読み込むと、
本作品の持つ
「単純な闘病記や貧乏物語に収まらない
重圧感」の正体が
見えてくるように感じます。
ぜひご賞味ください。
〔本作品の位置づけについて〕
本作品「子を護る」は、
葉山嘉樹の作品群の中では
目立たない作品といえます。
近年、岩波文庫から出版された
「葉山嘉樹短篇集」や
絶版となっている岩波文庫
「淫売婦・移動する村落 他五篇」、
角川文庫「セメント樽の中の手紙」には
収録されていません。
お世辞にも「広く知られた
メジャーな作品」とはいえないのです。
しかし、
葉山嘉樹という一人の文学者の生涯、
そしてプロレタリア文学全体の
「その後」の軌跡を辿る上では、
極めて重要なターニングポイントを示す
位置づけの作品と考えられます。
大正末期から昭和初期にかけて、
葉山は「セメント樽の中の手紙」や
「海に生くる人々」で、
労働者の過酷な現実をダイナミックに、
かつ鋭い階級意識をもって描き、
頂点を極めました。
国語の教科書や一般的な文庫に
収録されるのは、ほぼすべてこの
全盛期(大正末〜昭和初期)の作品です。
一方で、昭和10年代の葉山は、
国家による弾圧と
時代の戦時色化によって、
かつての武器である
社会主義的なリアリズムを
完全に奪われていました。
「子を護る」は、
そうして文壇の主流から退き、
木曽山口村へと隠棲した、
「後期の葉山嘉樹」が残した、
不遇の時代の結晶のような作品です。
華々しいプロレタリア文学の歴史からは
こぼれ落ちてしまうため
目立ちませんが、
「思想を奪われ、
中央から追われた作家が、
なおも生活の現場から紡ぎ出した
抵抗の文学」として、
後期を代表する
重要な位置にあると考えます。
(2026.7.27)
〔「葉山嘉樹短編小説集」郷土出版社〕
牢獄の半日
淫売婦
セメント樽の中の手紙
労働者の居ない船
山抜け
鴨猟
今日様
山谿に生くる人々
水路
濁流
裸の命
窮鼠
氷雨
万福追想
慰問文
還元記
子を護る
作家・ひと・葉山嘉樹
〔「百年文庫073 子」ポプラ社〕
大根の葉 壺井栄
出産 二葉亭四迷
子を護る 葉山嘉樹
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