
妻の出産に慌てふためく「近代人としての」夫
「出産」(二葉亭四迷)
(「平凡 他六篇」)岩波文庫
(「百年文庫073 子」)ポプラ社
一大事!家内が
産の気が附いたようだという。
予て期していた事で、
今更驚くべき筋ではないが、
矢張り驚く。
胸がドキドキする。
早鐘を撞くとは
好く言ったものだと、
忙しない中で無駄を思う。
請うなって見ると、
里の阿母さんに…。
〔はじめに〕
二葉亭四迷が
明治40年に発表した作品です。
特に大きな筋書きがあるわけではなく、
初めての出産に右往左往する父親
(恐らく作者自身)の姿が、
ユーモラスに描かれています。
〔本作品の味わいどころ〕
本作品の味わいどころ①
妻の出産に慌てふためく夫の姿
男性が出産に立ち会い、
その心理を赤裸々に語るという構図は、
当時の文学状況から見ても
きわめて異例のことだったと
考えられます。
明治期の一般家庭では、
出産は産婆と母親・姉などの女親族と
隣近所の女性たちによって支えられる
いわば「女性の共同作業」でした。
夫は基本的には「家の外で待つ」
「産婆の呼び出しや雑務をする」という
程度が普通で、産所に入ることは
「恥ずかしい」「穢れに触れる」
「場違い」とされていました。
出産は血と死の可能性を伴うため、
「産の穢れ」という観念が強く、
男性は宗教的・社会的に
距離を置くのが一般的だったようです。
産婆が語り手を制止する場面は、
まさにこの文化的背景を
反映しています。
逆に考えると、
夫が出産に立ち会おうとするのは
「近代的感情」の表れと
考えられるのです。
明治後期は、
「家父長制の揺らぎ」
「夫婦関係の変化」
「都市生活者の新しい家族観」が
少しずつ芽生え始めた時期と
考えられます。
語り手が妻の産所に入ろうとするのは、
「妻の苦しみに寄り添いたい」という
近代的感情の発露とも考えられ、
当時としてはきわめて
「新しい男性像」だったと思われます。
少し大げさにいえば、
当時の知的階級の読者層は
本作品について、
近代人が家庭という場で直面する
不安・責任・現実感の衝撃として
受け止めた可能性も考えられるのです。
二葉亭四迷はこうした「時代の変化」を
敏感に捉えていたのでしょう。
主人公が産所に入ろうとする行動は、
明治の読者にとっては
「やや場違いで、ちょっと滑稽」に
映ったはずであり、だからこそ、
「産婆に止められる」
「右往左往する」
「何もできずに不安だけが募る」という
展開が、
ユーモアとして成立するのです。
本作品の味わいどころ②
言文一致体によるテンポの良さ
二葉亭四迷が「浮雲」(1887)で
口語体を導入した時は革命的でしたが、
1907年の本作品発表時には、
新聞・雑誌・小説等で口語体が一般化し、
当時の読者はすでに
「話し言葉で書かれた文章」に
慣れていました。
本作品は当時、
すでに「奇抜な文体」ではなくなり、
「現代的で読みやすい文体」として
受け入れられたものと考えられます。
しかしそれだけでなく、本作品には
独特の「テンポ感」があります。
筆致に勢いがあり、
まるで講釈を聞いているような
リズムの良さが感じられます。
本作品は東京朝日新聞掲載作品であり、
したがって読者は日常的に
口語的な文章に触れていたのです。
記事同様、新聞小説は
「読みやすさ」が命であり、
「口語体+リズム感」という
本作品の特徴は、そうした要請に
ぴたりと合致していたのでしょう。
「出産の慌ただしさ」
「男性の狼狽」
「都市生活のリアルな描写」が、
四迷の独特の語り口によって
生々しく伝わり、
読者の共感を呼んだと考えられます。
本作品の味わいどころ③
「オチ」と「人生訓」の締めくくり
作品の最後の一節は、
「オチ」と捉えるべきか、
文豪なりの「人生訓」と捉えるべきか、
判断に迷うところです。
本作品は全体が
「パニックの連続」で構成されています。
「妻の陣痛に狼狽」
「産婆を探して走り回る」
「家の中が戦場のようになる」
「初めての父親としての不安が噴き出す」
こうしたテンションの高まりを、
最後の一節でふっと緩める。
これは典型的な新聞小説のリズムで、
読者に「爽快感」を与えるための
「オチの機能」と捉えることができます。
読者を安心させるための
ユーモラスな着地という側面は
確実にあるのです。
しかし二葉亭四迷は、
単なるユーモア作家ではなく、
近代的自我の揺らぎを描く作家です。
そう考えたとき最後の一節には、
「子どもが生まれたことへの責任」
「この世界の苦しさへの自覚」
「それでも生きていくしかないという
諦念」などが、軽い言葉の裏に
潜んでいると考えられます。
こうした「日常の中にふと現れる
哲学的な陰影」こそが
四迷の持ち味であり、
最後の一節は
「軽い言葉で重いことを言う」という
四迷の作風であると考えられます。
文学的には「人生訓」を盛り込みながら、
読者サービスとしての
「オチ」とも読み取れる。
この「ズレ」こそが、
作品の魅力になっていると考えます。
〔おわりに〕
現代の出産は医療化され、
病院・医療スタッフ・専門的な設備などが
中心となり、
夫は「立ち会う/立ち会わない」の
選択はできても、
「出産の主体ではない」という構造が
強くなっています。
そのため現代の私たちが
語り手の行動を読むと、
「むしろ明治のほうが
夫婦の距離が近いのでは?」という
逆転した感覚を
覚えるのではないでしょうか。
二葉亭四迷の「出産」は、
そうした「男性の出産からの疎外」という
現代的状況を逆照射する作品として
現代では機能していくのでしょう。
ぜひご賞味ください。
(2026.7.29)
〔「平凡 他六篇」岩波文庫〕
平凡
出産
雑談
余が言文一致の由来
余が翻訳の標準
私は懐疑派だ
予が半生の懺悔
〔「百年文庫073 子」ポプラ社〕
大根の葉 壺井栄
出産 二葉亭四迷
子を護る 葉山嘉樹

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