「蟹」(龍胆寺雄)

日本版「秘密の花園」、でも疑問だらけ

「蟹」(龍胆寺雄)
(「龍胆寺雄全集第二巻」)昭和書院
(「百年文庫072 蕾」)ポプラ社

ほんの最近、
この小さな動物園にもう一人
熱心な共営者が現われた。
この共営者はまた無論
ピエロの理解者であり、
そうして同情者でなければ
ならないのだが、なかなか!
それ以来のピエロと来たら、
肝腎の主人公さえ羨むくらい…。

〔はじめに〕
まるでバーネット「秘密の花園」
それが本作品を読んで受けた印象です。
しかし「秘密の花園」とは
まったく異なる味わいです。
しかもわからないことだらけです。
その「わからなさ」こそが
味わいどころにつながっていくものと
考えます。
龍胆寺雄の「蟹」です。

〔主要登場人物〕
象一

…十五歳。震災で両親を失い、
 叔父夫婦に引き取られている。
 小さな「動物園」をつくる。
筑紫
…十六歳。𠮷田ドッグの重役の娘。
 象一と親しくなり、
 小さな「動物園」を
 一緒につくりあげる。
ピエロ
…省一の飼い犬。象一が登校中は
 小さな「動物園」につながれている。

〔本作品の味わいどころについて〕
本作品の味わいどころ①
年齢と行動の隔たりはなぜ?

描かれているのは上に記したように、
二人(+一匹)だけなのです。
象一は「十五」、
筑紫は「象一とは一つ年かさの女の子」、
とありますので、
それぞれ15歳、16歳と考えられます。
もしこれらが「数え年」だとしても、
象一は満13~14歳、
旧制中学校の2年生〜3年生
(現代の中学2年生〜中学3年生)、
筑紫は満14~15歳、
高等女学校の3年生〜4年生
(現代の中学3年生〜高校1年生)の
時期に該当します。

ところが作品から受ける印象としては、
二人は現代での小学生程度の
行動と会話しかしていないのです。
堤防の割れ目の空間に
小さな「動物園」をつくり、
放課後に浸っているなど、
いくら戦前であっても
幼すぎるような気がします。
このギャップはどう考えればいいのか?

龍胆寺雄が活躍した
「新感覚派」などのモダニズム文学では、
生々しいリアリズムをあえて排除し、
「おもちゃの国」や「絵本」のような、
人工的な世界を構築することが
好まれました。
作者・龍胆寺は、
「十五歳の本物の少年少女」を
描こうとしたのではないのでしょう。
むしろ「十五歳という美しい意匠を
まとわせた、無垢な人形たち」を
舞台に配したと考えるのが
適当なのかもしれません。
生々しい性春や社会の垢がつく直前の、
ギリギリの年齢として
15歳、16歳を設定しつつ、
行動だけは完璧に
純粋な「子ども」のまま凍結させた。
そんな感覚でしょうか。

しかも十五歳という、
本来なら大人社会へ組み込まれ始める
年齢だからこそ、少年少女は過剰に
「子どもっぽい遊び」に逃避することで、
傷つきやすい自分を守る
シェルターを作っている、という
心理的な読みも可能となります。
現代でも、中高生がふと
小学生の頃に好きだった
おもちゃや秘密基地に執着するような、
「大人になりたくない子どもたち」の
ひそかな抵抗として
捉えることができるのです。

「秘密の花園」のメアリーやコリンも、
閉ざされた庭をいじることで
精神的に救われていきます。
本作品の二人にとって、
あの幼稚に見える小さな「動物園」は、
単なるおままごとではなく、
世界の混沌を自分たちの手で整理し、
小さな秩序を作り上げる
神聖な儀式であると
考えることもできます。
年齢にそぐわない幼い行動だからこそ、
周囲の大人や他の学生たちからは
完全に孤立した
「聖域」として際立ってくるのです。

本作品の味わいどころ②
象一は「動物園」で何を得た?

「秘密の花園」は、
ハッピーエンドともいえる結末でした。
ところが本作品の結末には、
やるせないような寂しさが漂い、
二人は何を得たのかが
明確には示されていません。
特に象一にとっての「救済」は
どのようなものだったのか?

本作品における象一の描写には、
学校や家庭での様子が
描かれていません。
おそらく「描かない」ことで、
叔父夫婦や級友たちと
馴染めてはいないであろうことが
推察できます。
周囲との関係が健全であるならば、
このような「動物園」をつくる必要性など
なかったはずです。
そして彼にとって
土手の割れ目につくった
小さな「動物園」こそ、
自分の脳内世界の
具現化だったと考えられます。

そう考えると、普通なら
「15歳にもなってこんな遊びをして」と
切り捨てられる幼稚な世界に、
一つ年上の筑紫がやってきて、
からかうことも否定することもせず、
その世界観を
完璧に共有してくれたこと。
これ自体が、象一にとって最大の
救済であったと考えられるのです。

「秘密の花園」の庭が、
生命力に満ちた自然の力で
再生していったのに対し、
本作品の小さな「動物園」は永続せず、
やがて終わりを迎える気配が
漂ってきます。
しかしそれは必ずしもバッドエンドとは
言い切れないのです。
象一にとっても筑紫にとっても、
「救済」とは、現実的に
素敵な環境を与えられることではなく、
また現実社会に適応することでもなく、
「大人になる直前の、
もっとも美しく純粋だった一瞬を、
あの割れ目の空間に閉じ込めて
永遠に凍結させること」だと
考えることができるのです。

一見、
何も解決していないように見えて、
象一と筑紫の精神の最深部は
これ以上ないほど満たされている。
そんな「内面における密かな救済」こそが
この作品の切なくも美しい
ハッピーエンドの形なのだと
解釈できるのです。

本作品の味わいどころ③
表題「蟹」の意味するものは?

そうなるとバーネットに習って
「秘密の動物園」、もしくは直接的に
「土手の隙間」といった表題のほうが、
物語のシチュエーションは
ストレートに伝わるように
感じられます。
そこをあえて、
どこか不気味で硬質なイメージを持つ
「蟹」としたのはなぜか?

蟹は土手の暗い割れ目に潜み、
時折そこから這い出してきます。
この生態そのものが、
象一の生き方や心象風景と
重なっていると考えることが可能です。
十五歳という多感な時期に、
学校や家庭という現実社会に
馴染めない(と思われる)象一は、
心の周りに分厚い「甲羅」を閉ざして
自分を守っているのです。

また、通常の少年たちのように、
まっすぐ「大人の階段」を
上がっていくことができない象一の
不器用さ、屈折した精神の歩み方が、
蟹の「横向きの動き」に
投影されていると考えることも
できるでしょう。
蟹が泥の穴や岩の隙間に
引きこもるように、
象一もまた「堤防の割れ目」という
狭く暗い場所にしか
居場所を見出せていないことも
表しているのかもしれません。

表題は作品が描いている「世界」を
端的に表したテキストです。
「蟹」の意味を考えることが、
本作品の深奥に迫ることであるのは
間違いありません。

〔おわりに〕
昭和初期のモダン都市の片隅、
堤防の割れ目にきらめいた
「十五」と「十六」の放課後は、
今も色褪せない
独特の匂いを残しています。
日本版「秘密の花園」である本作品、
収録している全集版も百年文庫も
すでに絶版なのですが、
古書もしくは図書館探訪で
出会っていただければと思います。

(2026.8.3)

〔「龍胆寺雄全集第二巻」昭和書院〕

機関車に巣喰う
山の感傷詩から
愛と芸術と シャボテンを持って歩く女
地隙で
浅き夢見し
エルサレムの道
芸術を街頭へ
名人物語
名前の話
詩編

〔「百年文庫072 蕾」ポプラ社〕
心臓 小川国夫
 龍胆寺雄
乙女の告白 プルースト

「心臓」
「一少女の告白」

〔龍胆寺雄の本はいかがですか〕

JAGADEESH SによるPixabayからの画像

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「子を護る」
「家の中」
「春の絵巻」

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