「完全犯罪」(レドマン)

ミステリというシステムのバグを突くレドマンの企て

「完全犯罪」(レドマン/村上啓夫訳)
(「世界推理短編傑作集3」)
 創元推理文庫

「このことには
疑念の余地がないと思うね」
「完全犯罪は可能だよ。
ただ、それには
完全な犯人が必要なわけだ」
「しかし完全な犯人なんて……」
「そんなものは
生きた人間の世界では
会えそうもない
神秘的な存在だと、
きみは言うんだろう…」

〔はじめに〕
本作品については
粗筋を紹介することができません。
粗筋が即「ネタバレ」につながり、
「ネタ」がわかってしまえば
本作品の初読の興奮が
大きく損なわれてしまうからです。
かわりに冒頭部分の登場人物たちの
会話を抜粋してみました。
終末部を除く大部分が、
主要登場人物二人による会話なのです。

〔主要登場人物〕
ハリスン・トレヴァー
…高名な犯罪学者兼探偵。
 数々の難事件を解決している。
グレゴリー・ヘア
…弁護士。ハリスンの友人。
タナカ
…ハリスンの使用人。日本人。
ファースト警部
…捜査官。
※以下はハリスンとグレゴリーの
 会話の中に登場する人物
アーネスト・ウェスト
…殺害された男。ウォール街の仲買人。
アリス・ウェスト
…アーネストの妻。
 ヒステリックな美人。
ハリントン
…ウェスト殺害容疑で逮捕、
 死刑を執行された男。

〔本作品の味わいどころについて〕
短篇作品なのですが、そこには
「完全犯罪」が三つ含まれています。
一つは「完全犯罪談義」、
一つは過去に起きていた「完全犯罪」、
そして一つは現在進行形で描かれる
「完全犯罪」。
それぞれが味わいどころに
つながっていくのです。

本作品の味わいどころ①
はじまりは二人の「完全犯罪」談義

先ほど記したように、
本編部分の多くが
ハリスンとグレゴリーの
完全犯罪談義で占められています。
もしかしたら犯罪が起きずに
終わるのでは?と
思うくらいの分量です。
しかしその会話の内容こそが、
伏線となっているのです。

ハリスン博士は、
犯罪の中で最上位に位置するものが
「殺人」であると定義した上で、
その「完全犯罪」が成立する要件について
次のように述べています。
⑴「激情的な犯罪」は真っ先に除外される
⑵唯一可能なのは「邪魔な人間の排除」型
実は長い談義の後、
この二つが静かに姿を現すのです。

本作品の味わいどころ②
できないはずの激情型「完全犯罪」

二人の会話の進行につれて
現れてくるのが⑴のタイプの
「完全犯罪」です。
激情に任せて殺人を行った犯人が、
実はまったく疑われることなく
生存していることが明らかとなります。
完璧な推理で
犯人逮捕まで至った事件が、実は
冤罪であることが明かされるのです。
これは作中のハリスン博士を
動揺させるとともに、読み手にも
大きな衝撃を与えることとなるのです。

本作品の味わいどころ③
成し遂げられた抹殺形「完全犯罪」

そして談義が終わったあとに
立ち現れてくるのが⑵の
「邪魔な人間の排除」型「完全犯罪」です。
こちらは現在進行形で描かれ、
読み手の度肝を抜くことになるのです。
詳しいことは話せません。
ぜひ読んで確かめていただきたいと
思います。

〔作者・レドマンについて〕
ダイアローグの応酬から
鮮やかにひっくり返される結末、
その強烈なインパクトは、
ミステリの枠組みそのものを
揺るがすような企みとして
大成功を収めています。
しかし作者である
ベン・レイ・レドマン(1896–1961)の
名前は、あまり知られていないのです。
そこには実は大きな理由があります。
彼は「本業の小説家」ではなく、
主に文芸批評家や編集者として
生涯の大半を過ごした人物だからです。

レドマンは、アメリカの一流紙誌で
膨大な書評を執筆していた、
当時の文壇の重鎮でした。
非常にお洒落で教養豊かな
紳士・学者タイプの人物として知られ、
海外文学の翻訳や古典の編纂
(いわゆるアンソロジスト)として
名を馳せていたのです。

実質的に本作品だけの
「一発屋」に近い存在ですが、
その「一発」のクオリティが
あまりに高かったため、
後世のアンソロジーに
残り続けることになったのです。
本作品「完全犯罪」は、
「普段は他人の文学を批評している
極上の知識人が、
ちょっと本気を出して
ミステリーの構造をハックするような
極上のプロットを
一本だけ書いてみました」という、
「極めて贅沢な悪戯」のような
作品なのです。

多くのミステリー作家は、
「読者をどう騙すか」
「どんなトリックを作るか」という
「ゲームのプレイヤー」として
作品を書きます。
しかし、レドマンの本業は
膨大な文学やミステリーを
外側から解剖していた「批評家」でした。
彼は、当時のミステリー界に溢れていた
「記号化された名探偵」や
「お決まりのプロット」を
冷徹に分析できる立場にありました。
そのためプレイヤーとして
ゲームに参加するのではなく、
「ミステリというシステムそのものの
バグを突く」という、
極めて批評的なアプローチで
執筆することができたのです。

〔おわりに〕
物語の中で展開される長々とした
「完全犯罪談義」は、そのまま
「当時のミステリー界の常識に対する
批評」にもなっています。
そして結末の反転は、読者だけでなく
「名探偵という概念そのもの」を嘲笑う
しくみとなっているのです。
これは、作品を量産するタイプの
「通常の作家」からはまず出てこない、
批評家ならではの
「一段高い視点」が生んだ
企みだったのです。

「完全犯罪が達成された」という作品は、
ミステリ史において
いくつか存在します。
しかしレドマンの「完全犯罪」ほど
「理論的完全犯罪のメタ構造」を持つ
短篇は存在しないといっても
いいくらいなのです。
「教養深き文壇の紳士が、
机の上でチェス盤を
ひっくり返すようにして作ってみせた、
最初で最後の知的なエレガンス」を、
ぜひご賞味ください。

(2026.8.7)

〔「世界推理短編傑作集3」〕
三死人 フィルポッツ
堕天使の冒険 ワイルド
夜鶯荘 クリスティ
茶の葉 ジェプスンユーステス
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イギリス製濾過器 ロバーツ
殺人者 ヘミングウェイ
窓のふくろう コール
完全犯罪 レドマン
偶然の審判 バークリー

「茶の葉」
「キプロスの蜂」
「イギリス製濾過器」

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