
「狂気」を誰に向けて発信しているのか?
「狂人の手記」(ディケンズ小池滋訳)
(「ディケンズ短篇集」)岩波文庫
そうだ!狂人の手記なのだ!
何年も前は、
狂人という言葉を聞いただけで、
おれの心臓は
どきんとしたものだ!
だが、今では
その言葉が好きになった。
気違いになるってのは、
大したことなんだ!
気違い病院、
何と素晴らしい場所だ…。
〔はじめに〕
ディケンズの初期の短篇作品です。
粗筋代わりに冒頭部の一節を
抜粋してみました。
表題どおり、精神病院に収容された
患者の「手記」なのです。
語り手「おれ」は、
「妻」の殺害を企て、さらにその親族に
暴行を加えたのですが、
「狂人」ということで
司法による裁きは免除され、
強制収容されたものと考えられます。
〔主要登場人物〕
「おれ」
…語り手。
精神異常者として病院に収監される。
「妻」
…「おれ」の妻。「おれ」の財産目当てに
親族から無理矢理結婚させられる。
〔本作品の味わいどころについて〕
本作品はいわゆる「倒叙ミステリ」として
読むこともできなくはありません。
しかし結果として「おれ」の「妻」殺害は
未遂で終わっていることを考えると、
そうした読み方では
作品の本質に迫れないことは確かです。
それよりも味わうべきは
「おれ」の「狂気」そのものでしょう。
語り手「おれ」は、自身の「狂気」を、
いったい誰に向けて発信しているのか?
それを考えることが、
本作品の味わいどころにつながるものと
考えます。
具体的には、告白は
「読み手を説得しようとしている」のか、
それとも
「自分自身に語り聞かせている」のか、
あるいは
「誰にも向けず、
ただ独白している」のか、
それによって作品の質感が
変わってくるように思えるのです。
本作品の味わいどころ①
読者への説得、偽りの強気
この読み方を採用すると、
語り手「おれ」は、
「自分の行動を正当化しようと試みる
計算高い人物」ということになります。
「おれ」は自分の破滅を説明し、
かつ自分の「狂気」を
読み手に納得させようとしています。
それでいて「おれ」の告白は、
論理がかなり破綻しており、
不自然さが際立っています。
まるでポー的な「自己弁護の語り」に
近づいているのです。
語り手はまさに「信用できない語り手」と
なっているのです。
また、作中にはディケンズおなじみの
「幽霊」も登場します。
これは客観的なオカルト現象ではなく、
彼の脳内で肥大化していく
「被害妄想」が溢れ出したものと
考えることができます。
告白の読み手に対して、
「悪霊のせいで自分の精神は
ここまで壊れたのだ」」という、
これも一つの自己弁護の形と
いえるでしょう。
さらに精神崩壊の臨界点を
一目で読み手に伝えるための、
きわめて効果的な心理の視覚化
(メタファー)としても
機能しているのです。
本作品の味わいどころ②
自分自身への「言い聞かせ」
この読み方では、「おれ」は、
「自分の精神の崩壊を告白によって
整理しようとしている
人物」となります。
自らの精神の崩壊を自覚しながら、
その「恐怖」を「喜ばしいこと」として
自身に言い聞かせ、
精神を最大限に強化しているとも
受け取れるのです。
「狂気」を「正当なもの」として受け止め、
開き直る。
心理戦という見方をすれば、明らかに
「おれ」は読み手を含めた
周囲の他者の上に君臨しているのです。
一方、読み手は
「絶対に話の通じない人間」と
対峙させられる恐怖を
味わうことになります。
それは現代でいう
「無敵の人の陰謀論」に触れるような
不気味さがあるのです。
本作品の味わいどころ③
行き先不明、ただの「独白」
この解釈では、「おれ」は、
「宛先を持たない語りを続ける
人物」となります。
読み手があることを意識せず、
その語りは宛先を欠き、
空虚な空間に向けて
発せられているとすれば、
「おれ」は世界との関係を
完全に失っていることになります
(実際そうなのですが)。
告白が「声だけが残った状態」として
響くとき、作品世界は急激に
孤独感を強めていくのです。
これはディケンズがしばしば描く
「疎外された個人」の極限形と
捉えることができるのです。
〔おわりに〕
「私は嘘つきです」という語りが
真実か嘘かを論じるような、
パラドックス的要素のある作品です。
この告白分は、
「おれ」が狂っているとすれば
本当の意味での
「信用できない語り手」となり、
「おれ」が正常だとすれば
文学的な「信用できない語り手」と
なるからです。
たびたび登場する「幽霊」も、
壊れた魂の見せた幻影なのか、
狡猾な精神による自己弁護なのか、
はっきりしません。いや、
「妻」の殺害未遂や親族への暴行すら、
事実なのか虚構なのか疑わしいのです。
この「事実」と「虚構」を
グラデーションとして読み取ることが
必要なのでしょう。
〔本作品収録の「長篇小説」について〕
本作品は、実は
「The Pickwick Papers」という
長篇小説の一節なのです。
「The Pickwick Papers」は、
当時まだ24歳だった無名の若者
ディケンズを一躍、
時代の寵児へと押し上げた
記念すべきデビュー長編小説です。
一言でいえば、
「愛すべきおじさんたちが、
イギリス中を珍道中する
コミカルなドタバタ喜劇」なのです。
本作品「狂人の手記」の
重苦しく陰惨な雰囲気とは真逆の、
ユーモアと大爆笑に満ちた
明るい作品となっています。
なぜそのようなコメディ小説の中に、
この恐ろしい「狂人の手記」が
紛れ込んでいるのか?
「The Pickwick Papers」は、
もともとはストーリー主導ではなく、
「売れっ子画家が描いた
コミカルなイラストに、
ディケンズが後から文章をつける」
という、今でいう
「イラストエッセイ」のような企画として
スタートしました。
そのため、最初のうちは
一話完結の連作短編のような
ゆるい繋がりでしたが、回を追うごとに
ディケンズの筆が走り出し、
最終的にはひとつの巨大な長編小説へと
進化していったのです。
ディケンズはこの長い旅の物語の
あちこちに、
本筋とはまったく関係のない
「旅先で見つけた古い手記」や
「宿屋で聞いた怪談・裏話」という体裁の
独立した短編を
いくつか滑り込ませています。
「狂人の手記」はそのうちの一つ
(第十一章)なのです。
当時は毎月少しずつ
発行されていたため、
陽気な笑いばかりでなく、
たまに毛色の違うホラーを
ガツンと入れることで、
読者に強烈なインパクトを与えようと
考えたのかもしれません。
しかし、明るいピカレスク小説の
骨組みを借りつつ、
自分が本当に書きたかった
「人間の心理の闇」や
「社会の底辺の恐怖」を、
挿入話という実験場で
テストしていたとも考えられるのです。
この「光と影」の
強烈なコントラストこそが
ディケンズの真骨頂であり、
このデビュー作で培った実験が、
のちの「オリバー・ツイスト」や
「二都物語」といった、
社会の闇を描く大傑作へと
繋がっていくことになります。
(2026.8.10)
〔「ディケンズ短篇集」岩波文庫〕
墓掘り男をさらった鬼の話
旅商人の話
奇妙な依頼人の話
狂人の手記
グロッグツヴィッヒの男爵
チャールズ二世の時代に
獄中で発見された告白書
ある自虐者の物語
追いつめられて
子守り女の話
信号手
ジョージ・シルヴァーマンの釈明
解説


〔関連記事:ディケンズ作品〕
「二都物語」①
「二都物語」②
「二都物語」③
「オリヴァー・ツイスト」①
「オリヴァー・ツイスト」②
「クリスマス・キャロル」①
「クリスマス・キャロル」②
「クリスマス・キャロル」③
〔ディケンズの本はいかがですか〕
〔「The Pickwick Papers」邦訳版〕

【今日のさらにお薦め3作品】



【こんな本はいかがですか】











