「好色」(芥川龍之介)

芥川自身の「悲劇的帰結」の予兆

「好色」(芥川龍之介)
(「羅生門・鼻」)新潮文庫
(「芥川龍之介全集4」)ちくま文庫

眼の前には、
時鳥を描いた筥が一つ、
はっきり空中に浮き出している。
おれの命の助かるのも、
侍従と一生の別れをするのも、
皆この筥に懸っている。
この筥の蓋を取りさえすれば、
いや、それは考えものだぞ。
おれにはどちらとも…。

1 はじめに

粗筋代わりに終末の一節を抜き書きしてみました。主人公が蓋を開けようとしている箱の中にあるものは…、恋い焦がれた女性の「まり」(排泄物)なのです。「宇治拾遺物語」や「十訓抄」などの古典説話では滑稽譚として描かれている作品ですが、芥川龍之介が翻案したからには「ユーモア」だけで終わるはずがありません。

2 主要登場人物

平中
…平貞文。天下一の風流人。
「侍従」
…在原業平の孫。在原棟梁の娘。
義輔範実
…平中の友人。

3 本作品の構成

一 画姿
二 桜
三 雨夜
四 好色問答
五 まりも美しとなげく男

4 本作品の味わいどころについて

本作品の味わいどころ①
現代・平安・芥川それぞれの「好色」

表題ともなっている「好色」という言葉は、現代では「いやらしい」「淫乱」「性的な欲求が高い」といったネガティブ(もしくは猥雑)なニュアンスで使われることがほとんどです。しかし、平安時代や芥川の作品における「好色」(色好み)は、まったく異なる価値観や精神性を表していました。

平安時代の貴族社会における「色好み」とは、単なる「女好き」ということではありません。それは「美意識や風流の道を極めた、高度な教養と感性を持つこと」を意味していたのです。当時の恋愛は、歌を詠み、香を焚き、紙の選定や筆跡にこだわり、季節の移ろいや心の機微を表現し合う「総合芸術」のようなものでした。したがって、「色好み」であるとは、言葉のセンス、美的な感性、洗練された振る舞いに長けていることと同義でした。相手の女性に対して惜しみない情熱を注ぎ、恋愛という風雅な戯れに命や名誉をかけるほどの高い精神性のことでもあったのです。「源氏物語」の光源氏などはその代表例でしょう。

芥川はこの作品で、主人公・平中の姿を通して、「好色」を芸術における「天才」や「理想主義」として描き出しているとかんがえられます。この世には存在しない「絶対的な美」を追い求めずにはいられない理想主義者、そして美の天才の業と純粋さこそが、作品の主題なのです。

芥川は、古典に登場する「平中の色好み」のエピソードを借りて、「美を追求する者の情熱と、現実との乖離に苦しむ天才の孤独」を、「好色」という言葉で再定義して描いたといえるのです。

本作品の味わいどころ②
「好色問答」が浮き彫りにする平中

一読すると「四 好色問答」の部分に違和感を感じるのではないかと思われます。義輔・範実の会話文のみで構成されているため、ここだけが浮いているような印象があるのです。芥川はどのような効果を狙ったのか?

上に記したように、本作品は五章構成となっています。しかし「一」は平中の紹介文のような形であり、「序文」に過ぎません。筋書きが始まる「二」~「五」の、「起承転結」の形の四章構成と見るべきです。そうなると「四」は「転」にあたる部分となるのです。

「起」「承」の「一」「二」では、読み手は平中の内面(思い込みや一人よがりの思考)や侍従との滑稽な駆け引きを、いわば「当事者視点」で追わされています。そのままでは、平中はただの「自意識過剰で、女に振り回される間抜けな男」で終わってしまいかねません。

ここで一度、第三者の視点から平中を論じさせることで、平中の行動の背後にある「哲学」や「悲劇性」を、言語化して提示する必要があると、芥川は考えたのでしょう。俗物的な見方をする義輔と、本質を見抜く範実の議論を通すことで、「平中とはいかなる存在なのか」(=単なる女好きではなく、美を追い求める不幸な天才である)という解釈の補助線を、読み手は得ることができるのです。

対話の二人には、明らかな対比が見られます。
義輔:
世間体や倫理・道徳の観点から平中を糾弾する「凡人・世俗」の代弁者。
範実:
「絶対的な美」や「天才の宿命」を理解する「芥川自身の思想」の代弁者。

この二人の問答を入れることで、平中の生きている次元が「世間の道徳や常識」(義輔視点の世界)ではなく、「美の探求と天才の孤独」(範実視点の世界)であることが浮き彫りになります。芥川自身が抱いていた「芸術至上主義と現実社会の対立」「天才ゆえの孤立」というテーマが、この会話によって作品の中核に現れてくるのです。

本作品の味わいどころ③
「幻滅」で「理想」を壊す試みの失敗

最後の「五」において、侍従の排泄物を見るという、なんとも品のない行為に走る平中ですが、単なる「オチ」ではないはずです。芥川はここでは何を狙っていたのか?

「宇治拾遺物語」や「十訓抄」といった原典の古典説話にも、「平中が侍従への執着を断ち切るために排泄物を奪い、それが香細工であったためにかえって降参する」という筋書きは存在します。しかし芥川は、この一見すると極めて下品で滑稽なオチ(排泄物を観察する・味わう)をそのまま採用しつつ、そこに強烈な文学的・思想的な意図を込めたものと考えられます。

「侍従」という女性に対して、どれほど拒絶されてもその「美の幻影」が消えず、平中は狂わんばかりの苦痛を味わいます。そこで彼が思いついたのが、「相手の最も人間的で、不浄で、汚い部分(つまり排泄物)を見ることで、強制的に幻滅して楽になりたい」という、いわば「逃避策」でした。しかし「侍従」は、排泄物すらも完璧な「香細工」に仕立て上げ、平中の裏をかくのです。平中の「現実の汚さ」に逃げ込んで自らを救おうとした行為そのものが、「侍従」の「圧倒的な風雅・美意識」によって返り討ちにあったと見るべきでしょう。

「その半死の瞳の中には、紫摩金の円光にとりまかれたまま、てん然と彼にほほ笑みかけた侍従の姿を浮べながら。」本作品の終末の一文です。「侍従」は単なる冷酷な女性ではなく、後光を差した「菩薩」のような絶対者として平中の瞳に映るのです。

芥川は、排泄物を味わうという「最も卑近で不浄な極限状態」を通過させることで、かえってそれを「絶対的な美への信奉・崇拝」へと反転・昇華させています。品のない行為を描くからこそ、その直後に訪れる「美へのひれ伏し」が強烈なギャップとなって読み手に突き刺さるのでしょう。

5 芸術至上主義と芥川

先ほどの一文の前にある文言、「仏倒しに倒れてしまつた」。兵中はただ倒れただけなのか、それとも昇天してしまったのか、その詳細は不明ですが、いずれにしても「色好み」(美の探求者)としてのプライドが完全に打ち砕かれ、精神的に「絶命」したのは間違いないでしょう。ここには芥川自身の芸術家としての葛藤や、のちの「悲劇的帰結」の予兆が見て取れます。

本作品は、「地獄変」とともに、「芸術至上主義」の極致を描いた作品群として位置づけられています。「芸術至上主義」という立場は、「生を捨てなければ、至高の美に到達できない」というパラドックスを抱えています。「好色」で平中が最後に命を落とす(あるいは精神的に崩壊する)描写は、芥川自身が「美や芸術を徹底して極めようとすれば、最終的には人間としての生を破滅させるしかない」という宿命を、あらかじめ予感し、物語として作品化していた例と考えられるのです。

本作品のラストシーンは、単なる古典の面白おかしい翻案にとどまっていません。本作品は、芥川自身が抱いていた芸術家としての悲劇的予感、それを平中という人物に託して描いたものであり、まさに「自らの創作と存在を美の前に差し出し、最終的に死に至った芥川自身の運命」を、予言・象徴する作品なのです。

6 おわりに

「好色」という、一見するとユーモラスで滑稽な古典翻案の中に、芥川が仕掛けた精密な構造や、人間の「美」と「生」をめぐる苛烈な葛藤を見出すことで、作品が持つ本来の奥行きや凄みが、より鮮明に浮かび上がってくるはずです。芥川の「王朝物」の一篇を、ぜひご賞味ください。

(2026.8.26)

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