「つくられた明日」(眉村卓)

「未来とは誰がつくるものなのか」という「問い」

「つくられた明日」(眉村卓)角川文庫

11月1日以降が空白となっている「未来予告」。
本を手にした誠一は驚愕する。
もしかしたら自分は死を宣告されたのかもしれない。
謎の人物たちが襲来し、
同級生の吾郎、
そしてあかねまで誘拐されてしまう。
誠一は判断を迫られる…。

1 はじめに

眉村卓のSFジュヴナイル、しかもタイム・トラベルものです。主人公たちはタイム・トラベルをするわけではないのですが、主人公たちの世界の安全を脅かす存在が時空間を超えてやってくるのです。しかし「正義の少年たち」が「悪の侵略者」を討つ、という単純なものではありません。

2 主要登場人物

永山誠一
…青陵中学校三年生。11月1日以降が
 記述されていない自分向けの
 「未来予告」に動揺する。
杉森あかね
…誠一の同級生。
 「未来予告」を誠一に薦める。
島吾郎
…誠一の同級生。
 怪しい人物たちに誘拐される。
永山昭子
…誠一の姉。合気道を習っている。
中井先生
…誠一の所属する新聞部の顧問。
大高
…謎の紳士。
 「タイムパトロール」のリーダー。
 吾郎を捉えた集団と敵対している。
川島
…吾郎を捉えた集団のリーダー的存在。
上田
…吾郎を捉えた集団の一人。
エスラ
…川島の存在する世界の女性。

3 本作品の味わいどころについて

本作品の味わいどころ①
「正義対悪」に陥らない構造

別次元の未来世界から来た敵対する二組の勢力の争いに、主人公の中学生・永山誠一が巻き込まれていく、という筋書きです。一方は謎の紳士「大高」を中心とした「タイム・パトロール」のメンバー。もう一方は、書店から書籍「未来予告」を強奪し、同級生・島吾郎を誘拐したサファリ・ルックの集団。単純に捉えるならば、「パトロール」している方が「正義」であり、同級生を誘拐した方は「悪」と見なされるはずです。読んでいただければすぐわかるのですが、簡単に「正」と「悪」を区別できる設定にはなっていないのです。

眉村作品では一方を単なる「邪悪な存在」として描きません。双方にそれぞれの歴史・正義・守るべき事情が用意されているのです。そしてどちらが勝っても、もう一方にとっては悲劇や不都合が生じることをさけられないのです。本作品には、そうした「双方の立場」がわかりやすく記されています。

主人公である中学生は、大人や異世界の都合に巻き込まれながら「双方の主張の筋が通っているからこそ、どちらか一方を無条件に「正義」と信じ込むことができない」という葛藤に直面するのです。

本作品の味わいどころ②
「自ら判断する」ことを重視

したがって誠一は、「正しい側に立つ」のではなく、「複数の正義の狭間で選択を迫られる」のです。もちろん中学生ですから、「完璧な判断」などできるはずがありません。こちらも読んでいただければすぐわかるのですが、誠一の判断基準は「同級生である吾郎やあかねたちの方が信用できる」「自分の志望もしくは消滅だけは避けたい」という、こちらも自己利益による思考に過ぎないのです。

しかしそれでいいのでしょう。1970年代には「勧善懲悪」的な発想がTVを中心に広がっていました。正義のヒーローは強大な力を持って悪(と見なされる存在)を殲滅するのが当然だったのです。そうした風潮の中で、自らの行動を自らの判断によってなすという、誠一の姿は、当時としては新鮮なものだったに違いありません。

その結果として、主人公がレーザー・ガンをぶっ放したり、未来的な攻撃機で相手の基地を粉砕したりといった派手な演出はまったく描かれないことになります。何気なく読むと、SFの割にはあっさりしすぎていて、地味な展開の失敗作のように誤解される可能性すらあるのです。B級SFに陥ることなく、ジュヴナイルに「大人視点」を持ち込んだ眉村卓の先見性に唸らされます。

本作品の味わいどころ③
「未来の不安」に対する解答

詳しい資料がなく、本作品の発表年は不明です(雑誌掲載されていたかどうか不明、角川文庫からは1980年1月、続いて1981年に秋元文庫から出版、それ以前における単行本出版の記録は見当たらない)が、本作品の成立は1970年代後半(遅くとも1979年)と考えられます。その当時を考えるに、「高度経済成長の終焉」「オイルショック後の経済停滞」「公害等を経験しての物質文明への懐疑」「近づく世紀末からの未来予測ブーム(占い予言書の流行)」など、人々の漠然とした不安が高まっていた時期と重なるのです。作品冒頭に「未来予告」という占い本が登場するのも、当時のそうした「未来への不安」を反映したモチーフと読むことができます。

高度経済成長期の日本社会は、「レールに乗れば豊かな未来が約束される」というシステム(管理社会・学歴社会)を急速に形成していました。作中で提示される「未来世界からの介入」や「あらかじめ決められた運命」は、当時の子どもたちが無意識に感じていた「大人があつらえた未来にただ乗せられているだけの不安」のメタファーとして読み解くことが可能なのです。

それまでの少年小説では「科学技術が明るい未来をもたらす」という楽天主義が主流でしたが、眉村は自らの作品に「未来は必ずしも明るくない」「科学や文明の進歩には対価や歪みが伴う」というリアリズムを持ち込みました。その上で、不確実な未来に怯える中学生の読み手に対し、「だからこそ君たち自身が思考し、未来を選択しなければならない」というメッセージを発しているものと考えられます。

時代が生み出した「不安」に対する解答として、「人間的な主体性の回復と自己決定」を提示した点が、単なる「ヒーロー的勧善懲悪」を超えた、SFジュブナイルの到達点なのです。

4 おわりに

本作品「つくられた明日」は、表面上はジュヴナイルSFの形式をとりながら、その奥に「未来とは誰がつくるものなのか」という、時代そのものへの「問い」が潜んでいます。「ねらわれた学園」「なぞの転校生」「幕末高校生」など、映像化されてしまうと、表面的なエンタメ性だけがデフォルメされてしまいがちです。しかし眉村卓のSF作品は、じっくり読むことによって、時代を超えて響き合う普遍的なテーマが見えてくるのです。「昔の作品」「子ども向け」などといわずに、現代の大人たちこそ味わうべき作品なのです。

(2026.8.28)

〔関連記事:眉村卓の作品〕
「なぞの転校生」(1967)
「侵された都市」(1967)
「まぼろしのペンフレンド」(1970)
「テスト」(1970)
「時間戦士」(1970)
「さすらいの終幕」(1970)
「ねらわれた学園」(1973)
「0からきた敵」(1973)
「ねじれた町」(1974)
「地獄の才能」(1975)
「閉ざされた時間割」(1977)
「少女」(1977)
「白い不等式」(1978)

「原っぱのリーダー」
「天才はつくられる」
「名残の雪」

〔角川文庫・眉村卓作品〕

BuffikによるPixabayからの画像

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