「チョコレート工場の秘密」(ダール)

チョコレート工場の「毒」の味わい

「チョコレート工場の秘密」
(ダール/柳瀬尚紀訳)評論社

貧しいチャーリーが何よりも食べたかったのはチョコレート。
家の近くには世界で最も大きい謎のチョコレート工場がある。
その工場が、五人の見学者を招待するという。
運良くゴールド・チケットを手に入れたチャーリーは、工場へ…。

1 はじめに

ジョニー・デップ主演の映画「チャーリーとチョコレート工場」。エンタメ・ムービーであるにもかかわらず、太っちょの子どもがパイプに詰まったり、ワガママな女の子がダスト・シュートから墜落させられたりと、子ども相手のサディスティックという、かなり「毒気」の強い映画です。その「毒」は、おもにジョニー・デップのキャラクターを生かすための演出だとばかり思っていました。そうではありません。それはそもそも原作が持っていた「毒」なのです。ロアルド・ダールによる「チョコレート工場の秘密」。この「毒」は、これまでどのように受け止められてきたのか?

2 主要登場人物

チャーリー・バケツ
貧しい家の心優しい少年。ゴールド・チケットを手に入れる。
ジョウじいちゃん
チャーリーの母方の祖父。孫のチョコ工場見学に同伴する。
ウィリー・ウンカ
チョコレート工場の経営者。子ども五人を工場見学へ招待する。
オーガスタ・ブクブトリー
招待客の一人。食いしん坊で肥満児。
イボダラーケ・ショッパー
招待客の一人。金持ちの両親に何でも買ってもらおうとする。
バイオレット・アゴストロング
招待客の一人。常にガムをかじっている行儀の悪い少女。
マイク・テレヴィズキー
招待客の一人。いつもテレビばっかり見ている。
ウンパッパ・ルンパッパ人たち
工場で働いている小人たち。

3 発表当時の子どもたちの反応

本国イギリスおよび英語圏での出版当時、読者である子どもたちからは熱狂的に受け入れられたといわれています。食いしん坊のオーガスタス、テレビ中毒のマイク、ワガママなイボダラーケなど、欲望に忠実で身勝手な子どもたちが「奇想天外な仕返し」を受けるストーリーは、過度な道徳論にうんざりしていた子どもたちにとってスカッとする娯楽として大歓迎されました。本作品には従来の児童文学にあった「お行儀よくしなさい」という押し付けがましさがなく、圧倒的に面白くナンセンスな「ダール・ワールド」に、子どもたちは一気に惹きつけられたのです。

4 大人たちの反応

一方で、子どもを指導する立場の大人の間では、その「毒」を巡って激しい論争が巻き起こりました。作中で問題児たちが悲惨な目に遭うことや、ワンカがそれらを冷淡に(あるいは喜んで)見守る姿勢に対して、「教育上よろしくない」「過剰にサディスティックである」という批判が寄せられたといいます。児童文学批評家の中には「暴力性と残酷さを肯定している」と厳しく非難する声もあったようです。

また、初版(1964年版)において、ウンパッパ・ルンパッパは「アフリカのピグミー族を思わせる黒い皮膚の人たち」として描かれており、彼らを低賃金(カカオ豆の供給のみ)で工場に閉じ込めて働かせている構図が、「奴隷制や植民地主義の肯定である」として強力な批判を浴びました(ダールはその後の改訂版で、設定を現行のように書き換えることになった)。

5 現代における本作品の位置づけ

イギリスの小学校では、今でも「読書の楽しさを教える本」として真っ先に選ばれる一冊だといいます。読書イベントでは、ワンカやチャーリーの仮装をする子どもたちが街にあふれます。

イギリスにおけるダールの地位は日本の手塚治虫や宮崎駿に近く、大人から子どもまで世代を超えて共有されている教養・共通言語となっています。それを反映する形で、小説だけでなく、ミュージカル化や新作映画(2023年公開のティモシー・シャラメ主演映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」など)のヒットにより、常に「いま読まれる本」として、書店の児童書コーナーの最前列に並び続けているのです。

6 現代の大人たちの反応

現在「現役」であり続けるからこそ、作品内の表現を巡る大きな論争がイギリス社会で巻き起こりました。2023年、出版社が、現代の子どもたちが読んでも不快感を抱かないよう、約数十箇所の表現を改訂した新版を刊行したのです。

この改訂に対しては、「現代の子供を守るために当然の配慮だ」という賛成意見がある一方、当時のスナク首相や有名作家たちが、「検閲であり、作家の表現の自由や毒の美学を損なう行為だ」と猛反発し、イギリス中で文化論争へと発展しました。最終的には、出版社が「オリジナル版(旧表現)」と「改訂版」の両方を並行して販売・重版し続けるという異例の決着をみています。

7 日本国内での大人の反応

本作品が初めて日本に紹介されたのは、1972年(昭和47年)のことでした。田村隆一訳で評論社から出版されています(現在は流通していませんが、古書での入手は容易なようです)。日本の児童文学界における当時の受け止め方は、まさに「衝撃」と「戸惑い」、つまり賛否両論でした。当時の日本の児童文学界にはこれほどストレートで過激な「毒気」を持つ作品がほとんど存在しなかったため、独特の波紋を広げることになったのです。

大人からは、イギリス本国での初期の批判と同様に、強い拒否感や困惑の声が上がりました。過激な描写に対し、「子どもに読ませるには悪趣味で残酷すぎる」「道徳的な教訓がない」と危険視する意見がありました。また、当時の学校図書館や公共図書館の選書会議では、「子どもの情操教育によくない」として選定を見送ったり、購入をためらったりする動きも一部で見られたといいます。

8 日本の子どもたちの反応

一方で、直接本を手にした子どもたちや、従来の道徳的な児童文学に物足りなさを感じていた文芸批評家からは絶賛されました。「説教くささ」が一切なく、ナンセンスでスリリングな展開、そして自分たちと同世代の嫌な奴らが痛快にやっつけられるストーリーは、日本の子どもたちの心を一瞬で掴みました。口コミで面白さが広がり、学校の学級文庫や図書館で「順番待ち」ができるほどの人気本となったといわれています。さらに田村隆一による卓越した翻訳も相まって、日本の児童文学に決定的に欠けていた「ナンセンスとユーモアの解放」をもたらしたと、高く評価する声も上がりました。

9 おわりに

本作品の味わいはまさに「毒」なのです。本国イギリスでも日本でも、そして60年前も現代も、一部の大人はその「毒」を毛嫌いし、一部の大人と子どもたちはその「毒」に魅力を感じる。いいか悪いかは別として、その「毒」は、「子どもにとって面白い本とは何か」「児童文学に道徳は絶対に必要なのか」というパラダイムシフトを迫るきっかけの一つとなったことは間違いありません。

ジョニー・デップ版「チャーリーとチョコレート工場」は、ティム・バートン監督らしい偏光フィルターを通して、ダールの毒を「奇妙さ」「孤独」「トラウマ」といった別の色に変換しています。原作の毒が「風刺・残酷・寓話的な罰」であるのに対し、映画の毒は「ウォンカという人物の心の歪み」に重心が置かれています。その違いを知ったうえで映画を観ると、ダールの「毒」とバートンの「毒」が、どこで交差し、どこで乖離していくのかが、鮮明に見えてきます。原作と映画、ぜひ両方をご賞味ください。

(2026.8.31)

〔田村隆一訳もどうぞ〕

〔映画「チャーリーとチョコレート工場」〕

kyungyeon leeによるPixabayからの画像

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