「百年文庫001 憧」

では、何に「憧」れていたのか?

「百年文庫001 憧」ポプラ社

「女生徒 太宰治」
朝は健康だなんて、あれは嘘。
朝は灰色。いつもいつも同じ。
一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、
私はいつも厭世的だ。
いやになる。
いろいろ醜い後悔ばっかり、
いちどに、
どっとかたまって胸をふさぎ、
身悶えしちゃう。朝は、意地悪。

「ドニイズ ラディゲ/堀口大學訳」
15歳の「僕」が出会った
19歳の美しい女性・マルトには
すでに婚約者がいた。
マルト結婚後、
二人は急速に接近し、
夫がいることも
歳の差があることも忘れ、
愛し合うようになっていく。
やがて二人の関係は
周囲のスキャンダルとなり…。

「幾度目かの最期 久坂葉子」
熊野の小母さんへ。
あなたにたよりしている気持ちで、
私は、おそらく今度こそ
本当の最後の仕事を、
真剣になって綴ろうというのです。
私はこれを発表するべくして、
死ぬでしょう。
私の最期の仕事なんですから…。

百年文庫全100巻。
3人の作家の短編小説を収録。
3人×100冊=300人300編。
300人の作家は重複せずに選出。
何という壮大な
プロジェクトなのでしょう。
その第1巻。面白かったです。
この3編を収めたアンソロジーの
タイトルは「憧」。
では、3作品の主人公は一体、
何に「憧」れていたのか?

わかりやすいのは「ドニイズ」の「僕」。
女性に憧れていたのでしょう。
健全なあこがれではなさそうですが。
なぜなら本作品は早熟なラディゲ
「肉体の悪魔」よりも先に書いていた、
早熟少年の告白小説だからです。
執筆当時ラディゲはなんと17歳。
いやはや早熟です。

「女生徒」の「私」は
漠然とした憧れなのでしょう。
強いて言えば未来への憧れ、
明るい明日への憧れでしょうか。
作品が書かれたのは1936年。
戦時中です。実は本作品は、
太宰が14歳の少女になりきって書いた
女性一人称告白体小説です。
70年以上前に
書かれた作品でありながら、
未だに新鮮さを失っていません。

難しいのは久坂の憧れです。
憧れどころか絶望しか読み取れません。
なにせ1952年12月の年末に書かれ、
その直後の12月31日深夜に
作者久坂が鉄道自殺を遂げたという、
遺書とも受け取れる作品なのです。
彼女にとっては生きにくい時代、
生きにくい世の中だったのでしょう。
だとすれば、彼女の憧れていたものは、
自分の居場所ということに
なるのでしょうか。

さて、3作品には「憧れ」以外にも
共通点が見られます。
戦争の影が差し込んでいるのです。
前述したように、
「女生徒」は戦時中の作品です。
14歳でありながら、
明日の見えない不安を
抱えているようすがうかがえます。
「ドニイズ」には
直接的な表現はありませんが、
第1次世界対戦終了2年後の作品です。
その後の「肉体の悪魔」には、
大戦が背景として登場しています。
「幾度目かの最期」も、
戦後の混乱期の価値転換が
影響を与えています。

また、作家3人とも短命でした。
ラディゲは20歳、久坂21歳、
そして太宰は38歳で亡くなっています。
なんとあの太宰でさえ
他の2人の倍も生きているのです。

そうしたことを考え合わせると、
本書は「生への憧れ」にかかわる
3作品ということになるのでしょう。
漢字一文字のテーマによって
結びつけられた3作品。
百年文庫、胸躍る企画です。

(2019.7.29)

jmarcosimo44によるPixabayからの画像

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