「百年文庫097 惜」

大切な人を失う「惜別」がテーマのアンソロジー

「百年文庫097 惜」ポプラ社

「百年文庫097 惜」ポプラ社

「枯木のある風景 宇野浩二」
画家・島木は旅行の最中に
同じ画家・古泉の訃報に接する。
島木は昨年、
古泉のもとを訪れていた。
そして制作途中の
「裸婦写生図」と
「枯木のある風景」を見せられ、
その芸術的技巧が
一段と冴え渡っているのを
見届けたばかりだった…。

百年文庫第97巻の
再読が完了しました。
テーマは「惜」。
惜別、別れを惜しむということです。
ただし、単なる「別れ」ではありません。
永遠の「別れ」、
つまり「死別」を惜しんだ気持ちを
表した作品三篇なのです。

第一篇目、
宇野浩二の「枯れ木のある風景」は、
才能ある画家・古泉圭造の
早すぎる死に対する、
同じ画家・島木新吉の
惜別の思いが描かれています。
この作品に登場する画家たちには、
実はモデルが存在しています。
古泉圭造は小出楢重が、
島木新吉は鍋井克之が、
それぞれモデルとなっているのです。
作者・宇野浩二自身には
小出との直接的な交友が
濃かったわけではないようなのですが、
小出の絵を購入している事実は
あるのでした。

宇野は1919年の「蔵の中」発表以降、
軽妙洒脱な文章を売り物に、
作品を世に送り出していました。
ところが1927年、
神経衰弱の傾向が強まり、
筆を執れない時期が続きます。
宇野が小出の絵を購入したのは
1928年であり、
その時期と重なります。
そして1933年、本作品をもって
文壇に再登場することになるのです。
一説には、
小出の生き方に自身を重ね合わせ、
自分を奮いたたせて
書いたとも言われる本作品、
宇野にとっては、過去の自分との
「惜別」でもあったのでしょうか。

「ラ氏の笛 松永延造」
「私」の友人・
ラオチャンド(ラ氏)は、
「私」が助手を務める病院に
入院している。
もはや死を覚悟しているラ氏は、
ある月夜の晩に、
そっと二階の物干し台へと
昇っていこうとした。
「私」が横合いから見ていると、
アリヤンの娘が現れ…。

二作目「ラ氏の笛」は、
病に倒れた印度人である友人・
ラオチャンドの死を惜しむ
「私」の心情が描かれています。
上の一節は、何かロマンチックなことが
始まるかのような印象を受けますが、
まったく違います。
女性はラ氏と同郷の印度人であり、
おそらくは彼の恋人です。
結婚して欲しいという
彼女の願いをはねのけ、
彼女に身を引かせようとするのです。

本作品の登場人物にも、
作者自身が投影されています。
作者・松永延造は、
幼少期に罹患した脊椎カリエスのため、
病床に伏していたのです。
思春期の大切な時期を、
病と向き合いながら
過ごさなければならなかったのです。
脊椎カリエスは当時、
不治の病と言われた結核を原因として
発症する病状であり、
周囲から接触を避けられたケースも
多々あったのではないかと
推察できます。
松永は、成人以降も闘病生活を続け、
44歳で亡くなっています。

本作品は、松永の痛々しい経験から
生み出されたものであり、
まさに身を削って創り上げた
作品といえるのでしょう。
「私」のラ氏への惜別の思いは、
長くはない自らの生命を惜しむ
感情の結露と考えられます

「赤まんま忌 洲之内徹」
私の三男が京都で、
交通事故で死んだ。
大という名前で、
十九歳であった。
事故とはいっても、
オートバイに乗って走っていて、
道の曲り角で道路からとび出し、
立木に衝突して、
頭を打って死んだのだった。
事故を起こしたのは…。

本作品こそ、
作者の思いの結晶でしょう。
突然の三男の死に際して起きた出来事を
時系列で淡々と書き進めた本作品は、
「子どもの死」という、
誰しもが受け入れがたいものを、
戸惑いながら、迷いながら、
もがきながら、
何とか飲み込もうとあがいている
作者の姿が、痛々しいばかりです。

不幸にして「子どもの死」に
向かい合わねばならないとき、
多くは何も準備のできないまま、
その現実と対峙するしかないのです。
本作品からは、
そうした「子への惜別=親の心」が、
ひしひしと伝わってきます。

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今日のオススメ!

三人の作者については、宇野浩二以外、
あまり知られていない作家です。
いや、若い方であれば宇野浩二さえ
知らないのではないでしょうか。
書店の書棚では、
まず見かけることはありません。
しかしながら、忘れ去ってはいけない
作家たちだと感じます。

大切な人を失う「惜別」に
テーマをあてたアンソロジー「惜」。
百年文庫でも重厚な味わいの一冊です。
ぜひご賞味ください。

〔宇野浩二の本はいかがですか〕
現在流通しているのは、
「枯れ木のある風景」を含む
講談社文芸文庫からの一冊のみです。

岩波文庫は中古を探せば
以下のものが見つかりそうです。
「苦の世界」
「蔵の中/子を貸し屋」

〔松永延造の作品〕
残念ながら、現在本書以外に
松永作品は流通していません。
青空文庫で
次の2作品を読むことができます。

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44歳までの短い人生、
それも闘病生活の中での
執筆であったためか、
松永は全集も全3巻に収まるくらいの
作品しか残していません。
再評価の気運が高まることを
願っています。

〔洲之内徹の本〕
やはり多くが絶版となっています。
新潮文庫から出ている3冊が、
古書で比較的
容易に入手できるようです。
「絵の中の散歩」
「気まぐれ美術館」
「帰りたい風景」

(2023.9.5)

DorotheによるPixabayからの画像

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