
日本の再生に向けて示された基本理念
「大和古寺風物誌」(亀井勝一郎)
新潮文庫
推古天皇の御代、
上宮太子が摂政として
世を治めておられた飛鳥の頃は、
私にとって最も懐しい
歴史の思い出である。
私ははじめ
史書によってこの時代を
学んだのではなかった。
大和への旅、
わけても法隆寺から夢殿、
中宮寺界隈へ…。
昭和期の文芸評論家・
亀井勝一郎の名著です。
随筆であるため、粗筋ではなく
冒頭の一節を抜粋してみました。
文章は硬質で難解な文言も多く、
気軽に読むことのできない一篇ですが、
だからこそ深い味わいのある
名文となっているのです。
〔本書の構成〕
斑鳩宮
飛鳥の祈り/救世観音/書簡
法隆寺
初旅の思い出/金堂の春/宝蔵殿にて/
鳥仏師
中宮寺
思惟の像/天寿国曼荼羅/
微笑について
法輪寺
荒廃/虚空蔵菩薩
薬師寺
春/白鳳の光/塔について
唐招提寺
秋/円柱と翼
東大寺
天平の花華/大仏殿にて/
不空羂索観音/講堂の址
新薬師寺
高畑の道/薬師信仰について
あとがき
本書の味わいどころ①
古寺に見る平和への希求
冒頭、繰り返し綴られるのが
聖徳太子への思いです。
中高の日本史では、
聖徳太子は一人の政治家としてしか
語られることがないのですが、
亀井は太子について、
自己犠牲を厭わずに平和を希求した
希有な人物としてとらえています。
そして大使の制定した
「十七条憲法」についても、
単に我が国初の成文法としてではなく、
太子の祈りと読み取っているのです。
「人間煩悩のすさまじさを
幼少の頃より
眼のあたり見られた太子の、
衷心祈念されたところは、
「以和為貴」であり、
「篤敬三宝」であり、
「承詔必謹」であった」。
本書に収められた随筆が
書かれた時期の多くは昭和十年代後半。
おそらく亀井は、
国と国とが争い人と人とが憎しみあう
戦時下の重苦しい空気を逃れて
日本の伝統美の息づく大和路の探索へと
脚を運んだものと思われます。
しかしそこで亀井の見たものは、
血族間の抗争の絶えなかった
奈良平安期の面影だったのでしょう。
摂政という
政治権力の頂点に立ちながらなお、
蘇我氏の横暴を
力で押さえるのではなく、
「魂の根源からの和」を望んだ
太子の姿は、平和を待ち望む
亀井の心に強く共鳴したのでしょう。
この、行間から浮かび上がる
平和を渇望する祈りにも似た想いこそ、
本書の第一の味わいどころなのです。
本書の味わいどころ②
「祈り」としての仏像探訪
亀井はさらに、
それぞれの寺に現存する仏像と、
博物館で保存・修復の上で
展示されている仏像との
差異について言及しています。
そして後者に対して、
「祈りの場から切り離された仏像は、
もはや仏ではなくなる」と
批判しているのです
(ただし否定はしていない)。
仏像を単なる美術品として扱うことへの
根源的な異議が、
本書のいたるところに記されています。
亀井は、信仰の場においてこそ
仏像は本来の意味を持つと
考えているのです。
博物館に置かれることで、
もはや仏像は祈りの対象ではなく、
観賞の対象、つまりは
美術品へと変質してしまうという
ことなのでしょう。
その上で亀井は、日本の仏像の特徴を
それが持つ「微笑」に求めています。
「古仏の微笑は云うまでもなく
慈悲心をあらわしたものに
ちがいないが、これほど
世に至難なものはあるまい」、そして
「あの幽遠な微笑を浮べるまでには、
どれほどの難行苦行があったか。
そこには思想消化の長い時間があり、
また生硬で露骨な表情に対する
激しい嫌悪があったにちがいない」。
亀井は仏像を
「仏そのもの」「祈りそのもの」として
とらえているのです。
この、仏像の向こうに
日本人の信仰心と祈りを見つめる
まなざしこそ、本書の第二の
味わいどころとなるのです。
本書の味わいどころ③
日本の再生のための旅路
日本人の信仰心と祈りとしての
仏像の「微笑」は、
突き詰めれば日本文化の根底にある
「柔和さ」「調和」「慈しみ」といった
「日本の精神」の象徴ととらえることも
可能です。
戦時下の日本は、軍国主義により、
硬直的な人間関係、
同一性を強いる緊張、
非人間的な暴力性、
そうしたものが蔓延し、
精神の柔軟さが失われたと
亀井は見ているのでしょう。
本書にある一文
「日本の敗戦の理由を問われるならば、
微笑の喪失にあったと答えたい」が
突き刺さります。
「微笑の喪失」とは人間性の喪失であり、
文化の喪失でもある。
それが敗戦の根本原因だと
亀井は考えているのです。
この、戦後日本の再生に向けて示された
基本理念こそ、本書の最大の
味わいどころとなっているのです。
亀井のその言葉は、同時に、
現代を生きる私たちにとっての
メッセージと考えることも
できるはずです。
かつて失われた微笑を、
私たちは取り戻しているのだろうか。
昨今の排他主義的な
世の中の動向を見たとき、
残念ながら「否」と答えるしか
なさそうです。
ネットのレビューを見ると、
奈良の古寺巡りのガイドブックとしての
活用が散見されます。
そのように表面をなぞるだけでは、
本書の接し方としては
もったいないとしか
いいようがありません。
本書は思想書であり、
じっくりと読み味わいべき
日本の名著なのです。
ぜひご賞味ください。
(2025.12.3)
〔青空文庫〕
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