
アンフィテアトロフは油断させて罠を張るタイプ
「乗り合わせた男」
(アンフィテアトロフ/高橋知之訳)
(「19世紀ロシア奇譚集」)
光文社古典新訳文庫
ルイムスク行きの列車に
乗り込んだ万年九等官の「私」は、
車内の隅にいた紳士から
話しかけられる。
紳士は「私」に、
「列車がモスクワから
217キロの距離に到達する
手前の駅で降りるように」という
警告を発する。
紳士の姿をよく見ると…。
近代ロシアの怪談を集めた本書
「19世紀ロシア奇譚集」、
聞いたことのない
作家ばかりなのですが、
本作品の作者
アレクサンドル・アンフィテアトロフも
はじめて読む作家です。
さて、どんな「奇譚」が展開するのか?
〔主要登場人物〕
「私」
…万年九等官の男。
ルイムスク行きの列車で、
不思議な紳士から話しかけられる。
「灰色の紳士」
…「私」と同じ車内にいた、
灰色のコートを着た紳士。
本作品の味わいどころ①
ユーモアとのんびり感
「私は死人だからですよ」。
列車がモスクワから
217キロに達する前に下車するよう
「私」にうながした「紳士」は、
早々と自らが
幽霊であることを明かします。
怪談の類いかと思って読み続けると、
そのような雰囲気は
まったく現れません。
「紳士」の語る台詞には、
いくつものユーモアが
ちりばめられているのです。
落命当時を語る「幽霊」の状況説明には、
架空の地名・駅名が
いくつも登場します。
例えば「シヴォプリュイ」は
「しゃあしゃあと嘘をつく」、
「プロホジームスク」は「詐欺師」、
というロシア語をイメージさせる
語句なのだとか。
また自らの死体の状態についても、
「みっともない形の
揚げ菓子みたいになったあげく、
元の練り粉に戻ってしまった、
いや、ただの粉、粉微塵です」。
とユーモラスに語るのです。
さらに死後に世界についても
官位や書類による届け出が
必要であるなど、ロシアの役人社会を
風刺したものとなっているのです。
217キロという距離は、
現代の新幹線なら乗車時間は
1時間ちょっとに過ぎません。
しかし作品が書かれた当時
(本作品は1886年発表)の
ロシアの鉄道事情を調べてみると、
列車の平均的なスピードは
時速50キロ前後と考えられるようです。
したがって、5、6時間くらいの
ゆっくりした旅となるのです。
そこに緊迫感はありません。
モスクワから217キロとなる地点で、
列車は事故を起こし、
多数の死者が出る。
「幽霊」は不吉な予言を残すのですが、
やはり緊張感は感じられないのです。
この、幽霊が現れながらも
ユーモアに満ち、
のんびり感が漂う独特の雰囲気こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
突然訪れる恐怖の時間
その「紳士」との会話は、
「私」の見た夢であることが語られます。
ところがそこから事態は
一気に暗転します。
「紳士」が語った「五等官」なる人物が
隣の車両に実在し、
そして下車できぬまま、列車はすでに
モスクワから216キロ地点を越え、
まもなく予言された事故が起こる。
夢が覚めてから事故直前まで、
文章はわずか十行程度。
まさに急転直下の展開となるのです。
前半(全体の九割程度)の
ユーモアとのんびり感は、
まさに読み手の油断を誘う
作者の罠だったことに気づかされます。
この、不意を突かれたように
突然襲いくる恐怖体験こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
想像の余地のある結末
「私」は列車の警笛とともに、
運を天に任せ、
列車から飛び降りるのです。
そこからの結末五行が、
さらに恐怖です。
何が恐怖か?
詳しく書かれていないことによる
「恐怖」が、読み手を襲うのです。
「私」は助かったのか、
それとも死んだのか?
「私は失神した」で結ばれるのですが、
それは何を意味しているのか?
その薄れゆく意識の中で
「私」が見た「灰色の影」は何者なのか?
全体でわずか12頁の本作品、
読み終えるまでよりも
読み終えてから結末の意味を考える
時間の方が数倍必要なのです。
もしかしたら「私」は、
「灰色の紳士」同様の
「幽霊」となってしまったのか?
だとすれば「私」は、「紳士」同様、
数年間そこで彷徨わねばならないのか?
ついつい「その後」を
考えざるを得ないような状況に、
読み手は自然と
追い込まれていくのです。
この、想像の余地のある結末こそ、
本作品の最後の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
恐怖を小出しにして、
クライマックスへと導くホラー小説も
怖いのですが、本作品のように
油断させて罠を張るタイプは
もっと恐怖をあおられます。
アンフィテアトロフ、
名前を聞くことのなかった作家ですが、
油断は禁物です。
覚悟して、ぜひご賞味ください。
(2025.12.30)
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