子どもたちを取り巻く読書環境が危機的状況にあります。
子どもたちを取り巻く読書環境が危機的状況にあります。「本」と呼べるものが、子どもたちのまわりから急速に姿を消しつつあるのです。
まず、町から本屋がなくなりました。かわって郊外やショッピングセンター内にブックストアができました。扱う本の量は多いのですが、まともな本を置いていません。かつては考えられないほど広い面積に雑誌と漫画本が並びます。文庫本や新書本のコーナーに足を運んでも、ラノベ、いわゆるライトノベルが幅をきかせています。売れる作家の娯楽小説やハウツーものが残りを占め、文豪たちの本は今や見る影もありません。
次に、子どもたちに(まともな)本の情報が届かなくなりました。子どもたちがネットから得る情報は膨大ですが、本の情報など受け取っていないでしょう。私が中学生だった頃には「中1時代」「中1コース」等の学習雑誌があり、そこから自然と情報が入ってきました。今は学習雑誌すら存在しません。
さらに、これが一番深刻な問題なのですが、子どもたちのまわりから本を読む大人たちがいなくなりました。忙しい現代社会、そしてさまざまな娯楽があふれている現代社会。本を読む大人たちの減少は、子どもたちにとっての「正しいモデル」「目指すべき姿」の喪失につながっています。
この状態で子どもたちに「本を読め」と言ったところで、まともな本を読むはずがありません。
子どもたちの読書の崩壊
教育現場では小学校中学校ともに「朝読書」の時間を設定している学校が普通になりました。一見、以前よりも読書習慣が定着しているように感じるかもしれません。しかし、子どもたちが何を読んでいるか。
中学生は学年が上がるほど「本」とは呼べないものを読んでいます。ラノベが多いのはもちろんですが、最近のラノベは性を軽々しく扱っているものが氾濫しています。挿絵には少女の裸のイラストがこれでもかと載っています。ロリコンを奨励しているようなものです。
前述した読書環境の崩壊が原因の一つであるのは事実です。しかし、それ以上に問題なのは(特に中学校で)読書に関わる指導が十分に行われていないことです。
国語科の教員の多くは口を揃えてこう言います。「読書は強制されてするものではない」。確かにその通りです。でも、強制と指導は違います。「スポーツは強制されてするものではない」と言って体育の時間に鬼ごっこや缶蹴りなど、子どもたちのしたい放題にする体育教師などいません。
今、子どもたちに対して必要なのは「発達段階に応じた読書指導」とまともな「本の情報提供」なのです。
私が行ったブックセイリングの実践
平成22年より3年間、前任校で学年主任を仰せつかったとき、この現状を何とかしなければならないと思い、始めた読書指導が「ブックセイリング」です。ブックセイリングとは一言でいうと課題読書です。
1年間を4期(1期3ヶ月)に分け、1期の中で2つのカテゴリから1冊ずつ、計2冊を選択し、期限内に読了する。各期の終末でその成果を確かめ合う活動を行う、というものです。1年間で4期×2カテゴリ×8冊=64冊の本を紹介しました。生徒はその8カテゴリから1冊ずつ、1年間で計8冊、3年間で24冊を読み通すことになります。
そのための課題図書として、次の条件を満たす本を選択しました。
①文庫本もしくは新書本
安価で入手しやすいと言うことです。ハードカバーは高いと思います。中高生はおそらくハードカバーの本なんて見向きもしないと思います。図書館を利用するという手もあるのですが、地方だと悲しいことに図書館は貧弱です。
②適度な精神的緊張感が得られるもの
ライトノベルやケータイ小説などではなく、読み応えのある文章、美しい日本語であるものを優先させました。
③不適切な描写・表現の少ないもの
日本の小説は海外の文学作品と比べ、性的な表現や暴力的な表現を含むものが多いと感じます。作品の文学性と照らし合わせて考慮しました。
④所有する価値のあるもの
本は一生の財産と考えます。読み終わったら古書店へ売り飛ばされるようなことにならないようなものを選んだつもりです。
このサイトで目指していること
現在では新しい学校に転任し、こうした活動も行うことができなくなりました。ただ、現任校では学校を挙げて積極的に読書活動を推進しております。各学年ごとに年間必読書10冊を決め、図書館に常備し、環境整備を行っています。
このブックセイリングも私が主導で行うことが難しくなったため、今後はネット上で中学生への推薦本を紹介し、啓蒙活動をしていこうと考えています。ブックセイリングの活動も含めて、このサイトで子どもたちに本当に読ませたい本について考えていきたいと思います。