
境界の崩れた一種のパラレルな世界、底無沼
「底無沼」(角田喜久雄)
(「怪奇探偵小説集続」)双葉社
水がもう喉まで来た。
笑いたいと思ったが、
苦しかった。
胸に鋳型をはめられたような
圧迫をうけた。
ふと、足先に何か感じた。
おや!と思って、
指先に力を入れてみた。
円い頭と柔らかい髪とを感じた。
彼は気違いじみた叫び声を…。
大正・昭和期の
怪奇色の濃いミステリをあつめた本書
「怪奇探偵小説集続」。
冒頭に置かれた乱歩の
「踊る一寸法師」からすでに
ホラー満載ですが、
本作品の恐怖度も負けていません。
角田喜久雄の「底無沼」です。
〔登場人物〕
「主人」
…底無し沼のほとりの一軒家に住む男。
「客」
…「主人」の一軒家の客。二日前からの
雨のために宿を借りている。
本作品の味わいどころ①
二人の台詞を軸としたホラー
描かれる登場人物はたった二人。
しかも名前を与えられない
「主人」と「客」の二人だけ。
両者とも何か危険な雰囲気を
醸し出しているのですが、
それは徐々に二人の会話から
明らかにされていきます。
「主人」は一人息子が
人食い沼にはまって死んだこと、
強盗が隠した金を探しに
同志七人とともに
ここにやってきたこと、
その金と息子の骨を探すために
ここにいることを明かします。
一方「客」は、
小さくなった底無沼も長雨が続くと
復活して大型化すること、
それゆえに今晩あたりは
小屋ごと
飲み込まれるかもしれないことを
語るのです。
読み手はそれぞれの口から、
過去に起きた強盗事件と
その金を巡る事故もしくは殺人事件の
存在を聞くことになるのです。
大雨の夜、山の中の一軒家で
ランプをともしながらの薄暗い闇の中。
情景を想像しながら読むと、
背筋に冷たいものが走ります。
この、二人の台詞を軸とした
ホラーな展開こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
サスペンス溢れる「実況中継」
お互いの正体を知った後半部は、
語りではなく「客」の行動が
恐怖を呼び起こします。
「主人」を縛り上げた「客」は
金のありかを白状させるために、
太い針を取り出し…、
「客は針を主人の右眼の上に
垂直においていった」。
「目蓋の上から
音もなく針が飲まれる」。
それとともに、二人の対峙する小屋では
異変も起きているのです。
「二人とも、あの異様な物音に
気がつかない」。
「小屋がほんのわずか傾いたのにも
気がつかない」。
「おお!柱が土間の、泥の中へ、
じりじり沈んでゆく!!」。
それはまるでテレビでスポーツの
中継映像を見ているかのように
読み手に迫ってくるのです。
この、サスペンス感あふれる
実況中継のような描写こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
主客渾然一体となる結末の妙
ところが、それ以上の恐怖が
読み手を襲います。
縛り上げた「主人」から
金のありかを聞きだした「客」は、
それがあるという
「二股榎」に駆けつけます。
しかしそこも
「底無沼」化していたのです。
「客」はそれに飲み込まれるのです。
そのこと自体も恐怖なのですが、
その場面での「客」の思考に
矛盾点が見いだされるのです。
「左手四尺ほどの所に
何か落ちているのを発見した。
すぐ、自分の息子の
帽子であることに気がついた」。
一人息子を沼で亡くしたのは
「主人」であるはずです。
しかもその「息子の帽子」は小屋の壁に
掛けられていたはずなのです。
まるで「主人」と「客」が
一体化したような表現、
そして空間を超えて「息子の帽子」が
沼に現れたような現象です。
何度読み返しても、
その点がわからないのです。
考えられることとしては、
主人の体験もしくは悲劇を、
自分自身の体験として
追体験してしまった、という解釈です。
底無沼に飲み込まれる際、
「客」の自我が崩壊し、
主人の怨念に取り込まれたことを
示唆しているかのようです。
「底無沼」は、底が有るようで無く、
土のように踏みしめられず
水のように泳げず、
沼と岸の区別も不明瞭です。
境界の崩れた、一種のパラレルな世界と
捉えることが可能です。
本作品も、語り手の視点が溶け、
「客」と「主人」の区別が消失し、
すべてを飲み込んで完結するという、
作品構造自体を「底無沼」として設計した
作者の意図なのかもしれません。
この、主客渾然一体となる結末の妙こそ
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
ミステリというよりも
十九世紀フランスの幻想怪奇小説の
流れをくんでいるような本作品。
あっさり読んだだけでも読み手は
表面的な恐怖におののくのですが、
じっくり読み込めばまた違った恐怖が
湧き上がってくるしくみなのです。
一粒で二度おいしい、
そんな逸品を、ぜひご賞味ください。
(2018.4.1)
〔「怪奇探偵小説集続」双葉社〕
踊る一寸法師 江戸川乱歩
悪戯 甲賀三郎
底無沼 角田喜久雄
恋人を喰べる話 水谷準
赤い首の絵 片岡鉄兵
父を失う話 渡辺温
決闘 城戸シュレイダー
奇術師幻想図 安部徳蔵
幻のメリーゴーラウンド 戸田巽
霧の夜 光石介太郎
魔像 蘭郁二郎
面(マスク) 横溝正史
壁の中の男 渡辺啓助
喉 井上幻
葦 登史草兵
眠り男羅次郎 広田喬太郎
蛞蝓妄想譜 潮寒二
窖地獄 永田政雄
解説 鮎川哲也

〔双葉社「怪奇探偵小説集」〕
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