「姜尚中と読む 夏目漱石」(姜尚中)

時代がようやく漱石に追いついた

「姜尚中と読む 夏目漱石」
(姜尚中)岩波ジュニア新書

昨年・一昨年が
漱石没後100年・生誕150年、
いわゆる漱石イヤーにあたるため、
関連本が多数出版されました。
振り回されたくないので
静観していたのですが、
本書だけは
岩波ジュニア新書ということで
読んでみました。

内容を一言で表すと
「吾輩は猫である」「前期三部作」
「こころ」の解説です。
今さら解説本なんて…、
と思っていましたが、
気付かなかった視点を
幾つも提示されました。
改めて漱石作品を
再読しようという気にさせられる
一冊です。

「第1章 文明社会はギリギリだ」
この章は「吾輩は猫である」について
述べられています。
作品に負けないくらい
解説もユーモラスです。
描かれているエピソードから
漱石の人となりを鋭く分析しています。
「漱石は裸体画がお好き」
「鼻毛を抜く漱石と抜かない鴎外」
「金持ち嫌いの漱石」など、
ユニークな話題が多々登場します。

「第2章 三四郎 それから 門 を読む」
著者はこの前期三部作を
「ビルドゥングスロマン」
(自己形成小説)として捉え、
解説していきます。
それぞれの主人公、
三四郎・代助・宗助の人物像を
読み解くとき、
確かに人間的な葛藤の次元が
次第に高くなっています。

「第3章 「こころ」を読む」
「先生」が「私」に、
遺書によって自らのいのちとこころを
受け渡したように、
「私」もまた作品の語り手として
次の世代の読み手に
それらを受け渡そうと
試みているという解説は
納得できました。

さて、本書は中学生を対象に
書かれたものなのですが、
これら全てを読んだことのある中学生、
いや、これらのうちの一冊でも
読んだことのある中学生は
何人いるのかと
ついつい考えてしまいます。
対象を大人にまで広げても
「吾輩は猫である」を全編読んだ人間は
決して多くはないはずです。
本書が漱石作品の解説本である以上、
紹介されている「吾輩は猫である」
「前期三部作」「こころ」を
全て一度は読んだことのある人が
読むべきものでしょう。

とはいえ、本書のいたるところから
漱石への深いリスペクトが
読み取れます。
ここから漱石を読んでみようと
思うきっかけに、
十分なり得る一冊です。

それにしても夏目漱石、
明治の時代の先進的な人間の思考を
さらに先取りしています。
だから100年もの長い年月、
読み継がれるのでしょう。
漱石没後100年にして、
時代がようやく漱石に
追いついたのかも知れません。

(2018.9.2)

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