「ピーター・パンの冒険」(バリー)

描かれているピーター・パンの様子がちょっと変です

「ピーター・パンの冒険」
(バリー/大久保寛訳)新潮文庫

生まれてから1週間で
成長をやめたピーターは、
家の窓から飛び出してしまう。
彼はロンドンの
ケンジントン公園に住み着き、
妖精たちと気ままな生活を送る。
ある日、
メイミーという女の子が、
閉園時刻後の公園に迷い込み…。

「ピーター・パンの冒険」という
タイトルを目にする人は、
誰しもフック船長や
ティンカー・ベルやウェンディを
思い出すに違いありません。
違います。
本作品はその前日譚、つまり
「ピーター・パン誕生」ともいうべき
筋書きなのです。
それにしては描かれている
パンの様子がちょっと変です。

まず、本作品のパンは空を飛べません。
本作品は、
鶏の雛が人間の夫婦のもとへ送られて
赤ん坊として生まれてくる、という
設定です。
パンは半分が鳥のまま、
半分が人間という
中途半端な存在であるため、
飛ぶこともできず、さらには
大人になることもできないという
ことなのです。

次に、本作品のパンは
性格が明るくありません。
母親はいつまでも
待ってくれるものと思い、
自由な生活を満喫していたのですが、
もうそろそろ帰ろうと思って
家の窓を眺めると、
すでにお母さんは別の子どもを
ベッドに寝かしつけていたのです。
パンは母親を恨みます。
それが最後まで尾を引いているのです。

そして、本作品のパンは
常に素っ裸です。
パジャマの布地を
いろいろなものに使ってしまい、
裸のまま生活しているのです。
子どもだからいいのかも知れませんが、
その姿のままメイミーと
過ごしているのですから、
イメージを想像すると
何かしっくりきません。

本作品のパンとネバーランドのパンは
同一人物ではないような気がします。
しかし「ピーター・パンとウェンディ」を
読むと、しっかりと本作品が
押さえられているのです。
「生まれた日に逃げ出し」、
「ケンジントン公園」で
「妖精たちと暮らしていた」ことを
ウェンディに打ち明けています。
フック船長の「パン、きさまは
誰なのだ」という問いかけに対し、
「卵から出てきた小さな鶏だ」と
答えています。
傷ついたウェンディを守るための
家の造り方は、本作品の妖精たちが
メイミーのために建てた家の手法を
踏襲しています。

さて、本作品の発表が1906年、
「ウェンディ」は1911年ですから、
時系列としても
本作品が第1作であり、
「ウェンディ」は続編ということに
なりそうですが、
実は「ウェンディ」とほぼ同じ内容の
戯曲が1904年につくられて
初演されています。
だとすれば、「ウェンディ」で
描ききれなかった部分を
本作品で描いたと
考えることもできます。
本作品のちょっと変なパンの様子は、
実はバリーが本当に描きたかった
パンの姿なのかも知れません。

※原題は「Peter Pan in
 Kensington Gardens」ですから、
 本来は「ケンジントン公園の
 ピーター・パン」と
 すべきところです。
 翻訳した大久保寛氏は、
 「ウェンディ」の訳者あとがきでは
 本作品をそう表記していました。
 また、光文社古典新訳文庫刊の
 南条竹則訳もそうなっています。
 なぜあえて紛らわしい
 タイトルにしたのか?
 商業的な思惑が働いたとしたら、
 作品に対する
 冒涜というしかありません。

(2019.1.2)

Ben BerwersによるPixabayからの画像

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