「春は馬車に乗って」(横光利一)②

作者自身の体験をもとにして書かれた本作品

「春は馬車に乗って」(横光利一)
(「機械・春は馬車に乗って」)新潮文庫

「彼」は医者から
妻の命が長くはないことを
告げられる。妻は夫が
泣いていたことに気付き、
だまって天井を眺める。
「彼」はその日から
妻に尽くし続ける。
妻はもう遺言を
書いてあることを「彼」に告げる。
「彼」と妻は黙ったまま…。

前回も書きましたが、
一読しただけでは
理解の難しい作品です。
前回は本作品の構成上の特質から
考えてみましたが、
それ以上に本作品の背景を知ることが
理解への近道だと考えられます。
本作品は、作者・横光利自身が
自らの体験をもとにして書き綴った
作品だからです。

作品中の「妻」は、
作者・横光と同棲していた
小島キミという女性です。
横光は同人誌「塔」の仲間である
小島勗の妹・キミと知り合い、
恋に落ちるのです。
勗に結婚を反対された二人は、
駆け落ち同然の状態で
大正12年の関東大震災後から
同棲生活をはじめるのです。
ところが同居後まもなく結核を発症し、
キミは逗子の湘南サナトリウムにて
闘病生活を送ることになるのです。

本文中にそのくだりが書かれています。
「彼は妻を貰うまでの四五年に渡る
 彼女の家庭との長い争闘を考えた。
 それから妻と結婚してから、
 母と妻との間に挾まれた
 二年間の苦痛な時間を考えた。
 彼は母が死に、妻と二人になると、
 急に妻が胸の病気で寝て了った
 この一年間の艱難を思い出した。」

二人は正式には結婚していないのです。
現代と違い、
籍だけ入れるというわけには
いかなかったのでしょう。
それが次の文章に切実に表れています。
「あたしの骨は
 どこへ行くんでしょう。
 あたし、それが気になるの」
「あたしの骨の行き場がないんだわ。
 あたし、
 どうすればいいんでしょう」

つまり、婚姻していないため、
死んでも入るべき墓が
ないということを嘆いているのです。

本作品は
この闘病生活中に書かれた作品です。
そのため、
最後の場面の解釈が微妙となります。
「彼女はその明るい花束の中へ
 蒼ざめた顔を埋めると、
 恍惚として眼を閉じた。」

この「眼を閉じた」のは、
「息を引き取った」のではないのです。
作品完成時には、
キミはまだ生きていたのですから。

そして二人は、なんとキミの死の
一ヶ月後に入籍を果たし、
晴れて正式な夫婦と
なることができたのでした。

本作品は、作者・横光と妻・キミとの
こうした経緯を知らないと
十分な理解が難しいのです。
しかしそれを理解して読み込めば、
これほど人間の生と死が
瑞々しく綴られている作品は
他に例がないことに
気づくことができるのです。
高校生に薦めたい一篇です。

(2020.1.26)

Johannes PlenioによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「春は馬車に乗って」(横光利一)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA