「藁草履」(島崎藤村)

藤村の書き表したかったもの

「藁草履」(島崎藤村)
(「百年文庫078 贖」)ポプラ社

競馬で大勝負に負けた源吉。
彼はその怒りの矛先を
妻の隅に向け、
重傷を負わせてしまう。
酒場で気を紛らわそうとした
源吉は、酔客から偶然にも
隅の過去の出来事を聞く。
源吉は隅を馬に乗せ、
山を越えようとするが
そのとき…。

島崎藤村らしい、重い内容です。
災難はなぜかすべて
何の罪もない隅に集中します。

一つめの事件。
夫源吉に殴られ、足を折る。
競馬大会で負けた悔しさを
ぶつけられたのですからたまりません。
そもそも負けたのは
源吉の馬術の未熟さが原因。
彼はそれを馬のせいにし、
さらに妻に八つ当たりするのです。

二つめの事件。
源吉が酔客から聞いた隅の過去。
源吉と一緒になる以前、
隅はいつも通る踏切の
番人の男から辱めを受ける
(時系列ではこれが最初)。
源吉は容態の悪い隅に
それを持ちだし、苦しめます。

三つめの事件。
骨折した隅を乗せた馬が、
牝馬を見て発情し、
そのまま疾走する。
あわれ隅は命を落とします。

何ともやりきれない気持ちで
いっぱいになりました。
隅は働き者で気立てのよい妻。
非はどこにもありません。
作品の中で源吉の罪は
全く問われていないのですから
なおさらです。
では、藤村は
何を書き表したかったのか?

三つに共通するのは、
感情の捌け口として
隅に危害がおよんだということです。
一つめの事件では
源吉の怒気の捌け口として、
二つめの事件は
男の性欲の捌け口として、
三つめの事件は、
馬の性欲の捌け口の結果としてです。

作品の中で源吉は、
「筋骨の逞しさ、
 腕力の勝れて居ること、
 まあ野獣と格闘をするにも堪える」
「強い健な農夫」

と表現されています。
同様に線路の番人は、
「すばらしい力のある奴」
「獣慾で饑渇いた男」

源吉の馬も血統の良い馬、
「清仏戦争に砲烟弾雨の間を
 駆廻った祖の血潮は、
 たしかに此馬の胸を
 流れて居りました」

表されています。

肉体的な力に優れたものが
感情のままに行う行動は
畜生と同じである、
ということなのでしょうか。
そう考えると源吉もまた
哀れむべき存在です。
人として罪に問われない分、
一層です。

後に発表される「破戒」が、
個人の自我の目覚めと
その苦悩を描いた大作であるとすれば、
本作は自我に目覚めることのなかった
人間の悲哀を描いた短編といえます。

(2020.2.20)

【青空文庫】
「藁草履」(島崎藤村)

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