「塀についたドア」(H・G・ウェルズ)

「ドア」は彼に何をもたらしたのか?

「塀についたドア」(H・G・ウェルズ)
(「百年文庫023 鍵」)ポプラ社

「百年文庫023 鍵」ポプラ社

「塀についたドア」
(H・G・ウェルズ/阿部知二訳)
(「ウェルズSF傑作集1」)創元SF文庫

「タイム・マシン」創元SF文庫

若き有能な
政治家・ウォーレスは、
ある晩「わたし」に
「塀についたドア」の話をした。
それは幻想的
かつ非現実的であり、
到底信じることなど
できないものだったが、
彼はそれを真実と信じていると
「わたし」は確信する。
その「ドア」とは…。

そのドアが
最初にウォーレスの前に現れたのは、
彼がまだ幼い頃でした。
家をさまよい出た彼は、
白い塀についた
緑色のドアと出会うのです。
そのドアの向こうには、
彼を幸福に誘う「庭園」があり、
その充足感が彼を一生引きつけて
放さなかったのです。
ドアは同じ場所には
二度と姿を現しませんでした。
以来、彼の人生において、
何度かそのドアは現れるのですが、
現実的な都合を優先させた結果、
そこに入ることはなかったのです。

〔主要登場人物〕
「わたし」

…語り手。名はレドモンド。
ライオネル・ウォーレス
…「堀についたドア」について
 「わたし」に語った人物。

政治家として成功を手にしながらも、
それに価値を見いだせなかった
彼の魂は、以前にも増して
「ドア」を希求していたのでしょう。
「わたし」に「ドア」の話をした後、
彼は公道に設置された
板囲いのドアから工事現場に侵入し、
そこに掘られた縦穴に落下し、
絶命します。

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少年時代の奇妙な経験(それは
夢や幻であったかも知れない)に
精神が囚われ、
人生の岐路に立ったときにそれが
幻覚となって現れたのでしょうか。
傍目には人生の成功者と見える彼は、
恋愛にも失敗し、
孤独であったことが窺えます。
四十歳という年齢を考え合わせると、
そうした人生に
幻滅を感じていたとしても
不思議ではありません。
「ドア」はそうした彼の心の隙を突き、
罠を仕掛けたのかも知れません。

その一方で、
違った見解を作者は示しています。
「塀とドアの形を通じて、
 彼に一つの出口を、
 はるかに美しい別の世界への、
 秘密の脱出口を提供したのだ。」

ウォーレスの死は事実です。
しかしもし彼が死の直前に、
求めて止まなかった楽園での幸福に
浸ることができていたとしたら、
それが幻覚であれ、
彼の魂は救われたということでしょう。
いやもしかしたら彼の魂は
肉体とは切り離され、
今も楽園の中に存在していると
考えるなら、
それは幸福そのものでしょう。

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幸せに通じる入り口など
どこにもないのだから、
現実をしっかり直視することが
大事であると、言い切るのは簡単です。
しかし、楽園への「ドア」の存在を
信じる気持ちもまた
人間の心の有り様の一つです。
さらには、人間の精神には
まだまだ未解明の部分があり、
幻覚による魂の幸福が
肉体の破滅を凌駕することも
可能性として考えられるのです。

本作品の発表は1906年。
富国強兵のスローガンのもとに
物質的な国家の増強が図られていた
日本とは対照的に、
日本が手本とした英国では、
精神的な豊かさを考えようとする
萌芽が見え始めていたのです。

〔「百年文庫023 鍵」収録作品〕

〔「ウェルズSF傑作集1」収録作品〕
塀についたドア
奇跡をおこせる男
ダイヤモンド製造家
イーピヨルニスの島
水晶の卵
タイム・マシン

村上春樹「世界の終りと
 ハードボイルド・ワンダーランド」は、
 本作品のコンセプトを
 さらに推し進めたような
 作品となっています。
 主人公は仮死状態(やがて
 死が訪れる)の中で、
 意識だけが自分の求めた
 ユートピアの夢を
 永久に見続けるのです。
 それが幸せかどうかは別であり、
 村上もまたそれを主題として
 本作品同様に
 読み手に問いかけています。

(2020.12.8)

〔H・G・ウェルズ の本はいかが〕

〔関連記事:海外のSF作品〕

wurliburliによるPixabayからの画像

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