「碑」(中山義秀)

自らの来し方・行く末に思いを馳せざるをえない

「碑」(中山義秀)
(「百年文庫022 涯」)ポプラ社

「百年文庫022 涯」ポプラ社

「碑」(中山義秀)
(「碑・テニヤンの休日」)新潮文庫

「碑・テニヤンの休日」新潮文庫

高範はじっと
彼の顔をながめていたが、
顫えぎみの片手をつとのばして、
弟のつめたい額にあてると、
「お主は我が意どおりに
 世の中を渡ってきた。
 何も思い残すことは
 御座るまい」

おののく声をはりあげて、
不意に涙をぽたぽたと…。

芥川賞受賞作「厚物咲」で知られる
中山義秀の、
もう一つの傑作がこの「碑」です。
短篇作品ながら、
主人公である兄弟の、
幼年から晩年までを追いかけた
重厚な筋書きであり、
読み終えると長篇を味わったかのような
充足感に浸ってしまう作品です。

〔主要登場人物〕
斑石高範
…長男。ねちねちした気質。
 物事に慎重。槍の名手。
斑石茂二郎
…次男。高範より五歳下。
 せっかち者。剣術に長ける。
斑石平太
…三男。神経質。二刀流の天才。
 二十歳で乱心し、高範に斬られる。

…三兄弟の母。
 乱心した平太によって斬られる。
ひさ女
…老年の高範の身の回りの世話をする。

味わいどころは、
高範と茂二郎の二人の生き方です。
書かれてあることを
大まかにまとめると、
以下のようになります。

〔斑石高範〕
・尊攘派の襲撃を受け、片眼を失う。
・佐幕派に勢力を持つ。
・尊攘派に担がれた平太に蟄居を命令。
・乱心した平太を斬り捨てる。
・さらに藩内での力を得る。
・戦場で弟・茂二郎と再会。
・武士制度廃止、金貸し業に転身。
・息子が失踪、不倫の妻を殺害。
・金貸し業で成功、大きな利を得る。
・ひさ女が身の回りの世話を行う。
・困窮した茂二郎に援助を約束する。
・茂二郎の葬儀に参列。

〔斑石茂二郎〕
・12歳で江戸の剣道指南の養子となる。
・22歳で剣道指南の娘・福と結婚。
・病弱だった福が死去、養家を出奔。
・江戸で浮浪、大道芸で糊口を凌ぐ。
・井伊大老暗殺に加担、出番なし。
・商家へ婿入り、二人の子をもうける。
・養家を出奔、浪人隊に加わる。
・戦場で兄・高範と再会。
・宿場問屋の寡婦お才の入り婿となる。
・村の青年たちに剣術を指南。
・暴漢の襲撃から村を守り名士となる。
・誰彼かまわず旅人たちの面倒をみる。
・家が困窮、高範が援助を約束。
・居合いの型を演示中に倒れ、死亡。

二人とも波瀾万丈の生き方です。
当然です。
幕末であり、当時の侍たちは、
否応なく変化に対応して生き延びるか、
対応できないままに零落していくかの
どちらかだったのですから。

高範は財を築いたのですが、
その生活は孤独に覆われています。
先妻は死亡し、
後添えの若い妻は不倫
(誤解の可能性あり)に走り、
晩年にひさ女を得るまでは
ずっと独り身だったのです。
容赦なく取り立てる金貸しとなり、
相貌も強面となったため、
誰も心を許す者はありません。
幸せとは決していえないでしょう。
しかし、そうでもしなければ
生きていけなかったのです。

一方の茂二郎も、
剣を捨てることができずに、
放浪を繰り返すのです。
最後は百姓として
生きようとするのですが、
それでも剣術にこだわり続け、
道場で命を終えます。

綺麗さっぱり剣を捨て、
武士の体面も捨て、
嫌われ者の金貸しとして成功した高範、
農業を営みながらも、
心の中では剣を捨てきれず、
それでも人とのつながりを
求めた茂二郎、
どちらが幸せか、という問題では
なさそうです。
高範の呟いた二つの言葉が印象的です。

一つは、金貸しとなった心境を
茂二郎から問われたときの返答です。
「ガキの時分から
 槍刀をひねくりまわして、
 外に能とてない者に、
 商人と競争して何ができる。
 金貸しぐらいが手頃のところさ」

自らを冷静に分析、
見切りをつけざるを得ない「武士」に
しっかり見切りをつけ、
割り切って生きていたことが
うかがえます。

もう一つは、
茂二郎の死に際してのつぶやきです。
「お主は我が意どおりに
 世の中を渡ってきた。
 何も思い残すことは御座るまい」

剣を捨てきれずに波乱の人生を歩んだ
弟の生き方を、憐れみとともに
羨望を持って振り返っているのです。

幕末の世でなくとも、
人の一生は順風満帆など
あり得るはずもなく、
波風が高く、時には意図せぬ在り方を
選択しなければならない時も
あるのです。
高範も茂二郎も、己の生き方を
後悔してはいないはずです。
私たちも時に納得のいかない選択を
繰り返しながらも、その総体として
悔やむことのない生き方を
していくことが大切なのでしょう。
読み手が自らの来し方・行く末に
思いを馳せざるをえない、
味わい深い一篇です。
ぜひご賞味あれ。

〔「百年文庫022 涯」〕
異父兄弟 ギャスケル
流刑地 パヴェーゼ
 中山義秀

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今日のオススメ!

〔「碑・テニヤンの末日」〕
厚物咲き

秋風
テニヤンの末日
月魄
少年死刑囚
高野詣

〔中山義秀の本について〕
無名時代の長い苦節を経て「厚物咲」、
そして本作「碑」で文壇に登場した
中山義秀。
デビュー当時は
重厚な文学作品が多かったのですが、
後年は、戦国武将物や剣豪物など
大衆文学に傾倒しました。
電子書籍でいくつか復刊されています。
「戦国史 斎藤道三」
「中山七里」
「真剣豪伝」
「戦国残党伝」

絶版となっているものも多数あります。
以下の本が古書として
比較的容易に入手できそうです。
「咲庵」
「芭蕉庵桃青」
「土佐兵の勇敢な話」

(2023.5.31)

DanielによるPixabayからの画像

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