
いったい誰がどう「追いつめられ」るのか?
「追いつめられて」
(ディケンズ/小池滋訳)
(「ディケンズ短篇集」)岩波文庫
(「百年文庫058 顔」)ポプラ社
友人の保険の相談で
「私」の事務所を訪問した紳士
スリンクトンは、最近、
姪を一人亡くしたのだという。
さらにその妹も、
病弱で彼が庇護していた。
彼は一見とても折り目正しく
優しい人物なのだが、
「私」は言い知れぬ
嫌悪を感じる…。
「クリスマス・キャロル」
「信号手」といった幽霊もので有名な
ディケンズの一篇です。
本作品に幽霊は登場しませんが、
身の毛もよだつような犯罪が
描かれています。
読み終えて初めて
気づくことになったのですが、
本作品はミステリでした。
問題は表題です。
誰が「追いつめられて」、
いったいどうなったのか?
〔主要登場人物〕
「私」(サンプソン)
…語り手。生命保険会社の総支配人。
過去に扱った事件について語る。
ジュリアス・スリンクトン
…「私」の会社に友人の
保険の申し込みをしにきた紳士。
マーガレット・ナイナー
…スリンクトンの姪。病弱。
アルフレッド・ベックウィス
…スリンクトンの部屋の
向かいに住む男。
「私」の会社の保険に加入。
メルサム
…イエスティマブル保険会社の
若く有能な計理士。
事情があって業界から引退した。
バンクス少佐
…車椅子の老人。資産家。
本作品は「一」から「五」までの
章立てがなされており、
「一」はまえがきにすぎません。
「二」から「五」が、見事なまでの
起承転結の構成となっていて、その
筋書きが鮮やかに展開していきます。
本作品の味わいどころ①
謎めく「起」「承」、
誰が「追いつめられ」るのか
読み終えるまでミステリであることに
気づかなかったのには理由があります。
事件が何も起きないからです。
「私は何度も何度も欺されたことがある」
と記された「一」から、
もしや語り手「私」の詐欺被害体験かとも
思うのですが、
「二」、そして「三」からは、何ら
それらしい雰囲気は漂ってきません。
ただ「私」が直感的に
スリンクトンに嫌悪を感じていることが
伏線的に述べられているだけなのです。
いったい誰が「追いつめられ」るのか、
それがわからない分、
背筋がゾクゾクするような感覚を
覚えてしまうのです。
この謎めいた「起」「承」を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
見えてくる「転」、
どう「追いつめられ」るのか
「転」としての「四」で、
ようやく背景が見えてきます。
スリンクトンの姪
マーガレットの登場です。
もしや保険金詐欺、いやいや、
保険金殺人?
このいたいけな少女が
殺害されてしまうのか?と、
ついつい想像してしまうのですが、
やはり何事も起きません。
展開はきわめて「静」です。
事件は起きないものの、
明らかに伏線とわかる記述が
いくつも仕掛けられている上、
作者ディケンズは
そこここに危険な薫りを鏤めています。
病弱な少女は
どう「追いつめられ」るのか、いや、
「追いつめられ」るのは別の誰かか?
見えてくる分、
一層不安がかき立てられます。
この霧が晴れかけた「転」を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
疾風怒濤の「結」!
「追いつめられ」た男の正体
そして「転」である「五」に、
読み手は十分に理解できないまま
突入します。
ところが「転」の「静」とは
打って変わって「動」、
嵐のような急展開となるのです。
「追いつめられ」るべき人間が一気呵成に
「追いつめられ」ていく驚きの筋書きは、
ぜひ読んで確かめてくださいとしか
いいようがありません。
「追いつめられて」という表題、
「一」における「私は何度も何度も
欺されたことがある」という記述、
そして「四」でのマーガレットに関わる
状況の描写は、
読み手のミスリードを誘う
巧妙な罠なのでしょう。
最後まで事件は起きない(実は静かに
「起きていた」)のですが、
それでも超一級のミステリとして
仕上がっているのです。
巻末の解説を読んで納得、
ディケンズはなんと実在の毒殺魔を
モデルにして
本作品を書き上げたとのことでした。
「二都物語」
「オリヴァー・ツイスト」などの
長篇を読む限り、
「お堅い文学者」という印象を
持っていましたが、ディケンズの本質は
エンターテインメントなのでしょう。
ディケンズの傑作ミステリ短篇、
ぜひご賞味ください。
(2025.2.12)
〔「ディケンズ短篇集」岩波文庫〕
墓掘り男をさらった鬼の話
旅商人の話
奇妙な依頼人の話
狂人の手記
グロッグツヴィッヒの男爵
チャールズ二世の時代に
獄中で発見された告白書
ある自虐者の物語
追いつめられて
子守り女の話
信号手
ジョージ・シルヴァーマンの釈明
解説
〔関連記事:ディケンズ作品〕
「二都物語」①
「二都物語」②
「二都物語」③
「オリヴァー・ツイスト」①
「オリヴァー・ツイスト」②
「クリスマス・キャロル」①
「クリスマス・キャロル」②
「クリスマス・キャロル」③
〔ディケンズの本はいかがですか〕
〔「百年文庫058 顔」〕
追いつめられて ディケンズ
気前のよい賭け事師 ボードレール
イールのヴィーナス メリメ
〔百年文庫はいかがですか〕

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