「ダフニスとクロエー」(ロンゴス)

1800年の時を超えた「恋愛」「平和」「神々」の物語

「ダフニスとクロエー」
(ロンゴス/松平千秋訳)岩波文庫

「つまりは
接吻したり抱きあったり、
着物を脱いで一緒にねる
以外には、恋にきく薬は
ないということだ」。
フィレータース老人の
言葉を聞き、
ダフニスとクロエーの二人は、
自分たちの胸の鋭い痛みが
「恋」からくるものだと
理解する…。

「ダフニスとクロエー」といえば、
真っ先に思い浮かべるのが
ラヴェル作曲のバレエ音楽です。
甘美で幻想的な音楽のもととなる小説は
いつの時代のものなのか?
作者は古代ギリシャのロンゴス
実は今から約1800年前に
つくられたものなのです。

〔主要登場人物〕
ダフニス

…山羊飼いの少年。捨て子だったが
 ラモーンに拾われ、育てられる。
クロエー
…山羊飼いの少女。捨て子だったが
 ドリュアースに拾われ、育てられる。
ラモーン
…山羊飼い。ダフニスの養父。
ミュルタレー…ラモーンの妻。
ドリュアース
…羊飼い。クロエーの養父。
ナペー…ドリュアースの妻。
ドルコーン
…牛飼いの青年。
 ダフニスに「男前勝負」を挑む。
フィレータース
…ダフニスとクロエーに
 「恋にきく薬」を教えた老人。
ブリュアクシス
…メーテュムナ部隊の司令官。
ヒッパソス
…ミュティレーネー部隊の司令官。
リュカイニオン
…初老の夫を持つ好色な女。
 ダフニスに愛の手ほどきをする。
ディオニューソファネース
…ミュティレーネーの領主。
クレアリステー…領主の妻。
アステュロス…領主の息子。
グナトーン
…領主に仕える幇間。男色好み。
ランピス
…生意気な性格の牛飼いの青年。
メガクレース
…ミュティレーネーの富豪。
ロデー…メガクレースの妻。

本作品の味わいどころ①
純粋な少年少女の恋物語

描かれているのは
一言で言えば「恋物語」。
ダフニス十五歳、クロエー十三歳、
現代では中学生の恋愛です。
舞台は二世紀頃のエーゲ海に位置する
レスボス島の片田舎の村。
したがってきわめて純朴な、
恋とはいったいどのようなものかも
知らないまま、
自らの胸の痛みに戸惑い、
やがて静かに性に目覚めていくという
ものなのです。

冒頭に掲げたフィレータース爺さんの
言葉を、二人は実践していきます。
「接吻したり抱きあったり」までは
問題なく進むのですが、
「着物を脱いで一緒にねる」の
その先までは
進まないあたりが絶妙です。

きわめてきわどいあたりを
抑制的に表現しているのですが、
これはもしかしたら
松平千秋の翻訳の
さじ加減かもしれません。
ところどころに「恋」という
カギ括弧つきの文言に
「エロース」というルビを
あてているところをみると、
原文の表現はもっと露骨である
可能性もあります。
いずれにしても
「恋物語」と「性への目覚め」という
普遍的なテーマが、
陳腐にもならず
堕落したものにもならず、
文学の範疇で結晶化しているのです。
この、純朴な少年少女の恋物語こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
悪人のいない平和な世界

このダフニスとクロエーの二人、
最後に結ばれ、夫婦となるのですが、
そこにたどり着く間には、
当然のこととして
紆余曲折が用意されています。
大きなものとしては海賊の襲撃と
それによって引き起こされた
都市国家間の争いが
挙げられるのですが、
まったく悲劇は起きません。
軍隊による戦闘に
突入しかけたのですが、
両者が冷静に事実関係を調べ、
無事和解するというものなのです。
少々「お花畑」のような
気もするのですが、
つまりは悪人がいないのです。

ダフニスとクロエー二人の
性への目覚めを描く作品に、
悪人がやたらと登場してしまえば、
その筋書きは単なる風俗小説に
堕してしまうでしょう。
基本的に
「根はいい人たち」であるからこそ
成り立つ物語なのです。
この、悪人のいない平和な世界こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
神の姿が見えていた古代

悲劇が起きそうで起きない理由の
もう一つは、
神々の支援があったからなのです。
ところどころで神が奇跡を起こして
ダフニスとクロエーを守るのです。
クロエーがメーテュムナ船団に
さらわれて人質になったときも、
パーン神が海を荒れさせ、
司令官にクロエーの解放を迫るのです
(それだけの力を現出させるのなら、
クロエーがさらわれる前に
なんとかできなかったのかという
気はするのですが)。
現代なら「ご都合主義」が過ぎて
噴飯物ですが、
舞台は1800年前のギリシャです。
人々は神を恐れ、それゆえに人々は
神を身近に感じていたのでしょう。
当時の読み手にとって、
そうした神々の過度な干渉など、
違和感のない自然なものだったと
考えられます。
人々に神が見えていた
古代の空気を感じることこそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

なお、「本作品」ではなく、
「本書」の味わいどころを
付け加えるならば、
数点挿入されている
ピエール・ボナール
挿絵の魅力でしょう。
柔らかな色彩と親密な情景描写で
高く評価されている画家・ボナールは、
この「ダフニスとクロエー」に魅了され、
1910年代にこの作品のために
挿絵を制作しました。
繊細で詩的な雰囲気を湛えた
その画風は、物語の抒情性に呼応し、
牧歌的な作品世界を
いささかもゆがめることなく
増幅させることに成功しています。
文学と絵画の
幸せな交差の一例でしょう。
ぜひご賞味ください。

(2025.9.8)

〔「ダフニスとクロエー」〕

〔「ラヴェル「ダフニスとクロエ」〕

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