「クリストファー男娼窟」(草間彌生)

読み手の視覚・嗅覚・聴覚に放たれる圧倒的エネルギー

「クリストファー男娼窟」(草間彌生)
 角川文庫

クリストファー街の
黒人美少年ヘンリーは、
ヘロイン中毒で金に飢えていた。
彼はヤンニーの斡旋する男性に
貸し出される。
今回は一週間で六百ドル。
応諾したものの
ホモセクシュアルではない彼は、
行為中に嫌気がさし、ついに…。
(「クリストファー男娼窟」)

〔「クリストファー男娼窟」
          主要登場人物〕

ヘンリー
…黒人の美少年。元大学生。
 ヘロイン中毒。
 男娼として金を得ている。
ロバート・グリーンバーグ
…ヘンリーを一週間六百ドルで借り受け
 別荘へ連れ出す。初老の男性。
ヤンニー
…男娼たちの元締め。香港出身の女性。

草間彌生、確か前衛芸術家の…。
そう思いながら手に取った一冊。
表紙カバーの写真の
不思議な魔力に引かれるまま、
レジに持って行ってしまいました。
実は冒頭の数頁を読み、
あまりのグロテスクさに腰が引け、
それから数年、書棚の奥底に
眠ったままとなっていました。

キーコの魂は、時折降りてくる
「離人カーテン」によって
外界と遮断され、
不安と恐怖に包まれてしまう。
きっかけは、母親・ママコの
ヒステリックな
叫び声であったり、
父親・ゴローの
娘を厄介者としか見ない
無慈悲な感情であったり…。
(「離人カーテンの囚人」)

〔「離人カーテンの囚人」主要登場人物〕
キーコ

…父母からの虐待を受け続ける娘。
ママコ
…キーコの母親。浮気する夫ゴローに
 財産をすべて使い尽くされるが、
 それでも夫を愛している。
ゴロー
…キーコの父親。
 女を渡り歩き家庭を顧みない。
ゲン…キーコの兄。
ミミコ…キーコの姉。
マチコ…キーコの妹。
サクコ…キーコの妹。
マツダ
…暴力団的会社の社長。
 ゴローの財産を狙っている。
シンコ
…ゴローの妾。しかしマツダの指示で
 ゴローとつながっているだけ。

本書に収録されている作品は三篇。
そこに筋書き上の共通性は
見いだせません。
しかし視覚・嗅覚・聴覚上の共通点が
存在し、それが
本作品群の味わいどころとなります。

マサオは最愛の妻・
ミミコの死が受け入れられず、
一か月もの間、
屍体とともに生活し、
そして屍体と交接していた。
死臭はすでに
家の中に立ちこめているが、
同時に外の森では
アカシアの幾千もの花のドームが
芳香をまき散らしていた…。
(「死臭アカシア」)

〔「死臭アカシア」主要登場人物〕
マサオ

…画家。建築会社でのアルバイトで
 生計を立てている。
ミミコ
…マサオの妻となったが、子宮癌で死亡。
 もとは貧しい娼婦であり、画学生の
 モデルのアルバイトもしていた。

本作品群の味わいどころ①
広がる艶めかしい色彩

三篇とも、筋書きに
大きな展開があるわけではありません。
そもそも筋書きで読ませようという
作品ではないのです。
「クリストファー男娼窟」は
若い男娼が交接中に
相手を殺害してしまいますが、
そこから何も始まりません。
「離人カーテンの囚人」では
虐待を受けるキーコが
悲惨な最期を遂げるのですが、
その途中に転換点は見当たりません。
「死臭アカシア」も
おどろおどろしい幕開けから
何も進展しないのです。
それでも本作品群は
読み手を飽きさせることはありません。
その理由は、筋書きではなく
視覚的世界が次々に
展開していくからなのです。

「男娼窟」では、ヘンリーとロバートの
吐き気をもよおすような交接を
下敷きにしながら、
なんともいいようのない視覚的描写が
繰り出されていくのです。
「カーテン」も同様に、
単調な筋書きでありながら
そこに映し出される風景は
めまぐるしく変遷していきます。
「アカシア」にいたっては、
おぞましい情景の上に、
次々に色彩が重ねられていくのです。
草間はあたかも小説そのものを
カンヴァスに見立て、
そこに油絵の具を
塗りたくっているかのようです。
その感覚は、読んでみないと
わからない性質のものです。
この、行間から立ちこめるように広がる
艶めかしい色彩感こそ、本作品群の
第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品群の味わいどころ②
漂う体液の強烈な匂い

視覚だけではありません。
本作品群は読み手の嗅覚にも
強烈に訴えてきます。
作品それぞれから立ちこめているのは
鼻をつくような体液の匂い。
悪臭としかいいようがありません。
「男娼窟」では「肛門」というキーワードと
それを使った遊戯が縦横無尽に登場し、
悪臭を放っています。
「カーテン」では
血の匂いが漂っています。
「アカシア」では、
表題通りの死臭と
鮮烈なアカシアの香りとが綾をなして
読み手の嗅覚を刺激してきます。
この、行間から漂い澱む
体液の強烈な匂いこそ、
本作品群の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品群の味わいどころ③
響き渡る死の通奏低音

さらに本作品群は、
読み手の聴覚にも
幻聴に似た作用を及ぼします。
それぞれの作品から
滲み出ているのは「死」。
「死」が通奏低音のように
流れ続けているのです。
「男娼窟」のヘンリーは殺人を犯し、
その先は描かれていないものの
待ち受けているのは
「死」であることを予感させます。
「カーテン」では幾度も
「死」に向かうキーコの姿が描かれます。
直裁的な「死」の音が
連続的に響いているのです。
「アカシア」は冒頭から
「屍姦」というおぞましい音色が
耳をつんざくように鳴り渡ります。
この、行間から響いてくる
「死」の音響効果こそ、
本作品群の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

筋書きは大きな展開を見せないものの、
読み手の視覚・嗅覚・聴覚に向けて、
三作品は圧倒的なエネルギーを持って
攻撃を仕掛けてくるのです。
通常の小説と同じ手法で
読み味わうことはもはや叶いません。
精神の感覚器官を解き放ちながら、
そのエネルギーすべてを
そのまま受け止める必要があるのです。
怖いもの見たさにいかがでしょうか。
ぜひご賞味あれ。

(2025.11.17)

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