「青い鳥」(メーテルリンク)

江國香織訳、受ける印象がまったく異なります。

「青い鳥」
(メーテルリンク/江國香織訳)
 講談社文庫

クリスマスイヴ、
貧しい木こりの子・
ティルティルとミティルの部屋に
現れた妖精は、二人に告げる。
「お前たちにちゃんとした
青い鳥を探しに行って
もらわなきゃならないようだね」。
二人は光・犬・猫・パン・砂糖たちと
不思議な旅に出る…。

誰もが知っている
チルチル・ミチルの「青い鳥」。
ベルギー生まれの劇作家
メーテルリンクの傑作です。
しかし「誰もが知っている」わりには
読んだことのある人の割合は
決して大きくない文学作品の一つです。
古くからある堀口大學訳は
何度か読みましたが、
こちらは江國香織訳。
受ける印象がまったく異なります。

〔主要登場人物〕
ティルティル

…木こりの息子。妹ミティルとともに、
 クリスマス・イヴからの1年間、
 青い鳥探しの旅に出る。
ミティル
…木こりの娘。ティルティルの妹。
ベリリュンヌ
…ティルティルとミティルの前に現れた
 妖精。二人に青い鳥探しを命じる。
犬(ティロウ)
…二人の飼い犬。二人の命令に忠実。
猫(ティレット)
…二人の飼い猫。
 何やら怪しい行動をとる。

…光の化身。
 優しい王女様のような外見。

…水の化身。全身ずぶ濡れの外見。

…火の化身。外見は人型をした火。
ミルク
…牛乳の化身。内気そうな女性の外見。
砂糖
…砂糖の化身。
 甘ったるそうな男性の外見。
パン
…パンの化身。
 小さな茶色い男性の外見。
ティルとうさんティルかあさん
…二人の父親・母親。
ティルじいさんティルばあさん
…二人の祖父・祖母。すでに
 この世になく、記憶の国に存在。

…夜の化身。
 黒い服を着た年配の女性の外見。

…時間の化身。未来の王国の番人。
ベルランゴ
…二人の隣家に住むおばさん。
 どことなくベリリュンヌに似ている。
「少女」
…ベルランゴの娘。
 どことなく光に似ている。
 病気で寝ていたが、
 二人から青い鳥をもらい、回復する。

本作品の味わいどころ①
江國香織翻訳による小説形式

もともと「青い鳥」の原文は、
フランス語で書かれた戯曲です。
舞台上演を目的に描かれたものであり、
決して子ども向けとはいえません。
筋書きがメルヘンに溢れているため、
日本では本書のように
小説形式で翻訳されたものの方が
多い状況です。
小説形式にしてしまえばそれは
「翻訳」というよりも「翻案」となります。

この江國訳は、
メーテルリンクの戯曲「青い鳥」の
英語版を基にしているのです。
具体的には、
Alexander Teixeira de Mattos による
英訳(1911年刊行)を底本として翻訳、
つまり
「原典フランス語→英語訳→日本語訳」
という二段階翻訳なのです。

いずれにしても
小説形式となったことで、
読みやすく、かつ
情景をイメージしやすくなりました。
戯曲版は膨大な台詞と
わずかなト書きから
すべてを読み込む必要が
あるだけでなく、
舞台背景や人物設定は
一度説明があると
その後は登場しないため、
何度も前後を参照する必要が生じます。
それが戯曲を読む楽しみであり
味わい方なのですが、
筋書きや登場人物の心情を
正しく理解し、その奥底に配置された
作品主題を読み込むには、
この小説形式の方が適しています。
とくに本作品の場合、
表面からは見えない、
深いところに隠されている
主題があるように感じられる以上、
この措置は適切であると考えます。
この、江國香織訳による
小説形式という作品形態こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
宇野亞喜良の不可思議な挿画

本作品(というよりも本書)の
大きな特徴は、挿画の存在です。
宇野亜喜良が装幀とカラー挿絵20点を
担当しているのです。
この挿画は好き嫌いが分かれそうです。
「メルヘンとエロスの振幅」と評される
宇野の画風は、従来の「青い鳥」の
イメージとはかけ離れています。
表紙カバー画から異様です。
無愛想な表情の二人、
とくにミティルは金髪パーマで厚化粧、
どう見ても「子ども」ではなく
「夜の女」です。
20点に及ぶ挿画も、
エロスに傾くことこそないものの、
メルヘンを通り越して
グロテスクとしか
いいようがありません。

児童文学とは相容れないグロテスクさ。
そこに編集者の意図があるとすれば
それは「既存概念の破壊」以外に
考えられません。
出版社が中心となり、
編集者の計画のもと、
翻訳者と挿絵画家が入念に打ち合わせ、
日本において古くから
児童文学の傑作として定着している
この作品の概念を、根底から突き崩し、
洗い流そうとしているとしか
思えないのです。
この、作品の本質の
真の理解をうながそうとする
宇野亞喜良の不可思議な挿画こそ、
本作品(本書)の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
「青い鳥=幸福」に対する疑念

そうなると、
読み手は本作品の文学的価値を、
根底からとらえ直す必要に
迫られるのです。
江國訳の現代的小説体、そして
宇野亞喜良のグロテスク挿画から
導き出されるのは、
「青い鳥は幸福」ということに対する
疑いです。

幸福を遠くに探し求めても見つからず、
気がつけば日々の生活の中に
幸福はいくらでも溢れている。
それが日本における
「青い鳥=幸福」としての
捉え方でしょう。
しかし、本作品の最後の場面で、
「青い鳥」として認識されるのは、
二人がもともと飼育していた
キジバトなのです。
さがしものが家にあった、ではなく、
それまで美しいと
認識していたなかったものも、
見方を変えると美しく見える、
というものなのでしょう。

そして夜明けとともに、
それまで意志を持って二人に接していた
火や水やパンはもとの無生物に戻り、
犬も猫も話さなくなります。
しかし二人はそれらとのつながりを
しっかりと意識できているのです。
「幸福」とは、大局的な自然観の中で、
人間と、その周囲に存在する
生物・無生物すべてに宿る
生命や霊魂との調和の上に成立すると
捉えるべきなのでしょう。

そう考えたとき、本作品の本質は、
童話や児童文学などではなく、
クリスマス・イヴの
メルヘンに見立てた「寓話」と
考えるべきでしょう。
本作品は実は子ども向けの
ファンタジーなどではなく、
大人の文学的哲学書なのではないかと
思うのです。
そうした「青い鳥=幸福」という概念を
批判的に捉え、
作品の奥底に隠された
作者のメッセージを読み取る作業こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

現在流通している「青い鳥」は、
文庫本としては堀口訳と
本書・江國訳以外にはなく、
多くは子ども向けの
翻案に近い日本語訳、
もしくは絵本として出版されている
ものとなります
(本書も挿画を高野文子に変更して、
同じ講談社の青い鳥文庫から
子ども向け仕様として
再出版されています)。
戯曲として作品本来の姿を味わうなら
堀口訳、
「青い鳥」の真の主題に迫るなら江國訳、
ということになりそうです。
どちらもぜひご賞味ください。

(2025.12.24)

〔関連記事:堀口大學訳「青い鳥」〕

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