「荒涼のベンチ」(H.ジェイムズ)

「恐怖」、でも最後は…、素敵な作品です。

「荒涼のベンチ」
(H.ジェイムズ/大津栄一郎訳)
(「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」)
 岩波文庫

婚約不履行として
ケイトから訴えられた
ハーバート・ドッドは、
やむなくその一部を支払い、
無一文となる。
困窮のうちに過ごした
十二年間の中で
妻と子どもを失った彼は、
失意のどん底にあった。
荒涼のベンチに
一人座る彼の前に…。

「ねじの回転」などの
ゴースト・ストーリーで有名な
ヘンリー・ジェイムズの短篇です。
本書「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」でも
他の三篇は幽霊ものであったり
不思議な体験が素材であったりと、
ジェイムズらしさが溢れています。
ところが本作品は
それらとはやや色合いが異なります。
「恐怖」「恐れ」が
全篇に漲っているのですが、
最後は…。素敵な作品です。

〔主要登場人物〕
ハーバート・ドッド

…婚約不履行として訴えられる。
ケイト・クッカム
…ハーバートを訴えた女性。
 一二年後、裕福な状態で
 再び姿を現す。
ナン・ドルーリィ
…ハーバートの妻となった女性。
 貧しさのうちに亡くなる。
ビル・フランクル
…ケイトと一緒であったのを
 ハーバートが目撃した男性。

本作品の味わいどころ①
訴訟から逃げられない恐怖

主人公ハーバートが、
かつて結婚を約束した女性ケイトから
訴えられ、追い詰められていく心理が
サスペンス・タッチで描かれています。
すでに弁護士と相談してあること、
絶対に勝訴できる確証があること、
三日以内の返答が必要であることなど、
ケイトの要求は確実に
ハーバートを追い込んでいくのです。
この、訴訟から逃れられない恐怖こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
全てを失い孤独となる恐怖

ハーバートは訴訟を回避、
示談金四〇〇ポンドのうち、
二七〇ポンドを支払うのですが、
彼の資力はそこで尽きます。
細々と経営していた古書店をたたみ、
会社員として貧しい生活を
送らざるをえなくなるのです。
その間、妻と二人の子どもを
貧困のうちになくし、
彼は全てを失うのです。
そうした彼が放心のまま訪れるのが
「荒涼のベンチ」なのです。
この、その後のハーバートのたどる、
孤独となるまでの過程の恐怖こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
自らの判断を疑いだす衝撃

しかし本作品の本当の「恐怖」は、
その荒涼のベンチに座り込んでいる
ハーバートの前に
再び現れたケイトなのです。
富裕層の仲間入りを果たしたような、
それでいて貞淑で気品あるその姿で、
彼女は彼に何を迫るのか?

それ自体が恐怖なのではありません。
ケイトとの再会によって
ハーバート自身が、
かつての自分の判断を疑いだし、
不安とも混乱とも後悔ともつかぬ
思いをすることが
読み手に衝撃を与えるのです。
詳しくはぜひ読んで確かめてください
としかいいようがありません。
この、主人公が自らの判断を疑い出す
衝撃こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

一通り読み終えると、
作者の罠にはまっている自分に
気づくはずです。
三人称で描かれた作品でありながら、
作者の視点は
常にハーバートに限りなく近く、
あたかも一人称告白体作品における
「信頼できない語り手」として
作用しているのです。
冒頭部におけるケイトの印象は、
ハーバートの眼のフィルターを通して
提示されたものであり、
その本当の姿が明らかになるのは
最終場面においてです。
実は本作品、最初に述べたとおり、
全篇に「恐怖」や「恐れ」が
漲っているのですが、その本質は
ホラーやサスペンスなどではなく、
愛情物語の一つの形であり、
それこそが本作品の
真の味わいどころとなっているのです。

ヘンリー・ジェイムズ。
やはり一筋縄ではいかない作家です。
本書に収録されている四篇すべてが
独特の輝きを放つ
傑作集となっているのです。
四篇すべて、ぜひご賞味ください。

(2025.12.26)

〔「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」〕
私的生活
もうひとり
にぎやかな街角
荒涼のベンチ
 解説

「私的生活」
「もうひとり」
「にぎやかな街角」

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「デイジー・ミラー」

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