
「生きる」ことの意味を問い直す
「いのちの初夜」(北條民雄)
(「いのちの初夜」)角川文庫
「いのちの初夜」(北條民雄)
(「百年文庫068 白」)ポプラ社
「いのちの初夜」(北條民雄)
(「日本近代短篇小説選 昭和篇1」)
岩波文庫
誰でも癩になった刹那に、
その人の人間は亡びるのです。
死ぬのです。
けれど、僕らは不死鳥です。
新しい思想、新しい眼を持つ時、
全然癩者の生活を獲得する時、
再び人間として生き復るのです。
新しい人間生活は
それから始まる…。
ハンセン病に罹患し、
隔離生活を余儀なくされながらも
創作活動に取り組み、
二十三歳の若さで早逝した
作家・北條民雄の代表作です。
〔主要登場人物〕
尾田高雄
…ハンセン病に罹患し、
療養所へ入院した患者。
佐柄木
…入院患者の一人。症状は軽度であり、
重度の患者の看護を担当している。
本作品の味わいどころ①
激しく葛藤する「希望」と「絶望」
描かれているのは
隔離施設への入院当日の午後から
翌日の夜明け前までの半日程度です。
特に筋書きがあるわけではありません。
ただただ作者自身を反映させた主人公・
尾田の、大きな心の揺れ動きが
鮮烈に描かれているのです。
その尾田の心を揺さぶっているのが
佐柄木の存在です。
施設で迎えた最初の夜、
尾田は自らの命を絶つ行動に
出るのですが、成功しません。
それを見ていた佐柄木は
静かに語りかけるのです。
「僕思うんですが、
意志の大いさは
絶望の大いさに正比する、とね。
意志のないものに
絶望などあろうはずが
ないじゃありませんか。
生きる意志こそ絶望の源泉だと
常に思っているのです」。
絶望を抱えながらも
死を遠ざけようともがいている
尾田の心が、
佐柄木には見えていたのでしょう。
そのわずか半日程度の
尾田の「心の揺れ動き」は、
大きな絶望と小さな希望の間の
振幅に過ぎません。
しかしそれは、
大きなエネルギーを持って
読み手に迫り、
その心を激しく共鳴させてくるのです。
この、主人公・尾田の体験する
「希望」と「絶望」の間の葛藤こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
ぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
本作品の味わいどころ②
「生きる」ことの意味を問い直す
さらに佐柄木は、
「生きる」ことについての新しい視点を、
尾田に伝えようとするのです。
それが冒頭に記した一節です。
ハンセン病は当時、不治の病。
完治する可能性は低く、
それ以前の問題として、
世間の差別や偏見は
すさまじいものがあり、
完治したとしても施設から出ることは
絶望的だったのです。
人間としての社会的生命は
すでに奪われていたのです。
佐柄木の諭す言葉は、
病と闘い、病を克服して
生を勝ち取ることではないのです。
それまでの生をあきらめるとともに、
ハンセン病を受け入れ、
ハンセン病患者としての
新たな人生を生きることなのです。
主人公・尾田が
入所当初の作者の姿だとすれば、
佐柄木は作品執筆当初の、
「生きる」ことについての悟りを開いた
作者の精神を宿しているのでしょう。
尾田と佐柄木の対話は、
作者自身の心の問答であり、
絶望の中から小さな希望を見いだした
魂の変遷と考えることができるのです。
この、「生きる」ことの意味についての
読み手への問いかけこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
ぜひ読んで
受け止めていただきたいと思います。
本作品の味わいどころ③
隔離施設の実態を後世に伝える
その佐柄木ですが、
尾田と同じ
ハンセン病患者でありながら、
他の入院患者の世話をする
看護師的な仕事をしています。
これは当時の隔離施設に存在した
「患者付添夫(患者看護人)」という
制度です(作品中にはその説明はない)。
つまり、入所者のなかで
軽症者が重症患者の介護を
担っていたのです。
この制度は、療養所側の労働力確保と、
患者側の生活費確保の双方の事情から
成立していたようです。
しかし考えてみると、
それはあまりにも残酷な制度です。
労働従事者が不足しているのは
社会に差別と偏見が
はびこっているためです。
本作品を丁寧に読み込むと、
そのいたるところに
施設従事者の患者軽視としか思えない
振る舞いが描かれてもいます。
当時、「療養所」というのは名ばかりで、
医療とはほど遠い実態があるのです
(私がこの記事において
「療養所」ではなく「隔離施設」と
表記しているのはそのためです)。
一方で、入所者からは現金を没収し、
施設内だけで使用できる金券を発行、
これによって施設からの脱走を
不可能にするとともに、
収入を得るために何らかの形で
施設内労働をせざるをえなく
しているのです。
それも低賃金での労働であり、
労働に見合った報酬では
なかったようです。
本作品には、「差別」や「偏見」という
文言こそ登場しない上、
尾田も佐柄木もそうしたことに対しての
不満を述べてはいません。
しかし書かれてある事実は、
当時社会に厳然と存在していた
差別と偏見の実態を
余すところなく伝えきっているのです。
この、隔離施設の実態を
後世に伝えている
ルポルタージュとしての価値こそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
北條民雄が本作品をはじめとする
一連の闘病記を残さなければ、
その実態が現代に伝えられることは
なかった可能性が高いのです。
文学的価値を超えて、
日本の負の歴史の証言として、
本作品の価値は
きわめて高いといえます。
ぜひご賞味ください。
(2026.1.28)
〔青空文庫〕
「いのちの初夜」(北條民雄)
〔角川文庫「いのちの初夜」〕
いのちの初夜
眼帯記
癩院受胎
癩院記録
続癩院記録
癩家族
望郷歌
吹雪の産声
あとがき 川端康成
北條民雄の人と生活 光岡良二
解説
年譜
〔ポプラ社「百年文庫068 白」〕
冬の蠅 梶井基次郎
春の絵巻 中谷孝雄
いのちの初夜 北条民雄
〔「日本近代短篇小説選 昭和篇1」〕
施療室にて 平林たい子
鯉 井伏鱒二
キャラメル工場から 佐多稲子
死の素描 堀辰雄
機械 横光利一
闇の絵巻 梶井基次郎
ゼーロン 牧野信一
母たち 小林多喜二
生物祭 伊藤整
あにいもうと 室生犀星
いのちの初夜 北條民雄
築地河岸 宮本百合子
虚実 高見順
家霊 岡本かの子
待つ 太宰治
文字禍 中島敦
解説
〔本作品収録書籍について〕
本作品を収録した文庫本は、一時期
ほとんど絶版となっていましたが、
近年復活してきました。
以下の文庫本にも収録されています。
北條民雄集 (岩波文庫)
北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

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