「伝説」(火野葦平)

「河童」は何のメタファーか?

「伝説」(火野葦平)
(「百年文庫095 架」)ポプラ社

鈍重で、暗愚ではあるが、
真摯で、傲岸で、怠惰な
一匹の河童が棲んでいた。
或るとき、かれは
生命にかかわるような
冒険をした後、
仲間のあいだから
消息を絶ってしまった。
名探偵は最初、
かれが殺害されたものであると
判断した…。

火野葦平の著書をamazonで検索すると、
「麦と兵隊・土と兵隊」(角川文庫)、
「インパール作戦従軍記」(集英社)、
「バタアン半島総攻撃従軍記」
(経営科学出版)など、
戦争に関わるものばかりが出てきます。
そうした「戦争文学」と対をなす、
火野葦平の文学のもう一つの主軸が
「河童文学」です。
本作品は後者にあたり、
河童が主人公となります。

〔本作品の構成〕
※二部構成となっている
前半部:「名探偵」
ある河童が失踪した。
名探偵は、失踪した河童を
殺人事件に巻き込まれたものと仮定し、
捜査と推理を進めたが、
何も事実は出てこなかった。
しかし失踪した河童に想いを寄せていた
女の河童がいて、
失踪前のようすを語る。
後半部:「昇天記」
前文と末文が失踪した河童から
火野葦平へ宛てられた手紙。
本文は失踪した河童の書いた
小説「昇天記」。
昔、白魚川に棲んでいた河童たちは
昇天しようとして
千軒岳なる河童を師と仰ぎ、
昇天術を学んだ。
何人かの河童が長年の修行の末に
昇天術を極め、昇天に成功した。
しかし数日後、昇天したはずの
河童たちが次々と落下してきた。

本作品、ユーモラスな筆致で
描かれてはいるのですが、
おそらくそれは表面のベールであって、
その中に潜んでいるのは
別の何かであるはずです。
一読しただけでは本質や主題を
つかむことが難しいのですが、
こうした作品の場合、やはり
「わからないこと」を噛みしめることが
味わいとなるはずです。

本作品の味わいどころ①
二部構成は何を狙ったのか?

なぜこのような
二部構成となっているのか?
そこが一つの疑問であり、
本作品を読み解く鍵になりそうです。
ある河童がいかにして失踪したかを
ルポルタージュ的手法で追った前半部、
そして「昇天記」という当事者の手記
(つまり「発見された証拠資料」)が
提示される後半部、
それらを連続して読むことにより、
読み手は
「虚構」を「事実」として錯覚する、
という手法のようにも感じられます。
しかし主人公は河童。
どう読んでも河童の世界は
現実性を帯びようがありません。

別の見方をすれば、
前半部「名探偵」が「周囲から見た河童
(外側からの観察)」であるのに対し、
後半部「昇天記」は
「河童自身の魂の訴え
(内面からの告白)」となります。
それによって、
周囲から見れば単なる「失踪」
もしくは「変死」と見られた出来事が、
本人にとっては
きわめて崇高な行為の果て、もしくは
絶望的な精神の旅路であるということを
提示していると
考えることができるようになります。
前半後半で視点を転換させたときに、
はじめて浮かび上がってくるものが
あるはずです。

さらに別の角度から眺めた場合、
前半部は
失踪した河童を巡る「事実関係」、
後半部は
その本人の「精神状態」と
とらえることも可能です。
それによって単なる失踪事件が
表題どおりの
「伝説」として昇華するのです。
読み手は前半部後半部
それぞれに記述された断片を
統合することにより、
「目撃者」としての
役割を与えられるのです。
「伝説」ができあがる過程を
再現しているともいえます。

「名探偵」と「昇天記」は、
表面上は作者(失踪した河童)の
「行動・思想・思考」と
その「作品」の関係にあります。
しかし突き詰めると両者は
作者・火野葦平の
「作品」と「行動・思想・思考」と
とらえることもできるのです。
この、本作品の構造上の特徴である
「二部構成」の意図を考えることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。

本作品の味わいどころ②
「河童」は何のメタファーか?

河童の世界を描くとなると、
なにか幻想的であり、
和やかな雰囲気が漂います。
ユーモラスな筆致で書かれた本作品も
同様です。
最後に記された
「どうです、あしへいさん。
 傑作ではありませんかね。
 ひとつ、この「昇天記」で、
 芥川賞をもらって下さい」
など、
ふざけているとしか思えない部分も
見受けられます。
しかし「ほのぼの河童ワールド」を
描こうとしたものなどでは
ないはずです。

河童世界は、当然、人間社会を
描写したものであるはずです。そして
「鈍重で、暗愚ではあるが、
真摯で、傲岸で、怠惰な
一匹の河童」は、当然、
「鈍重で、暗愚ではあるが、
真摯で、傲岸で、怠惰な
一人の人間」を
表したものでなければなりません。
そうなると問題は、河童の「昇天」は、
人間社会の何にあたるのか、そして
「鈍重で、暗愚ではあるが、
真摯で、傲岸で、怠惰な
一人の人間」はどんな人間なのか、
もしくは誰なのか、
ということになるのです。

みんなで天を目指して昇っていったが、
どこまで行っても果てがなく、
しまいには体力が尽きて
落下してしまう河童たち。
もし河童が人間を表しているとすれば、
そこに描かれているのは
「集団での愚行」ということに
なるのでしょう。
本作品が刊行されたのは1946年。
火野葦平の文学の主軸が
「戦争文学」であることを考えると、
それは「戦争」を表しているというのが、
一つの読み取りになると思うのです。
この、「河童」が暗喩として
表しているものを考えることこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。

本作品の味わいどころ③
「戦争」と関わりはあるのか?

もし「河童の昇天」が
「戦争」を表しているとすれば、
「鈍重で、暗愚ではあるが、
真摯で、傲岸で、怠惰な一匹の河童」は
火野自身ということになるのでしょう。
日中戦争応召中に
作品「糞尿譚」が芥川賞を受賞。
それが話題を巻き起こし、
「麦と兵隊」以下三部作が評判を呼び、
兵隊作家として
マスコミの寵児となった火野葦平。
しかし戦後になると状況は一変します。
戦時中、軍に協力した
「戦犯作家」としてのレッテルを貼られ、
公職追放を受けるのです。
自分が信じて書いた「兵士の美徳」が、
戦後は否定されるべきものと
なってしまったのです。
その姿は天を信じて天に昇り、
天に届かず落下した河童のそれと
確かに通じます。

自身の戦争責任や罪悪感、
そして変節せざるを得なかった
自己への嫌悪。
これらを現実の人間として語るには、
あまりに生々しすぎたのでしょうか。
河童へ仮託したとしても
不思議ではありません。
昇天に失敗した河童を描くことで、
自分自身の魂の救済を試みた可能性は
十分にあるのです。
この、「河童文学」と「戦争文学」の根源で
つながっているものを考えることこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

Geminiで作成

火野は晩年、自宅「河伯洞」
(河童の棲む家の意味)の書斎で
自ら命を絶ちました。
火野にとって戦争体験および
戦後の社会変化で負った心の傷は、
どれほどユーモラスな
河童の物語を書いても
癒えることはなかったのでしょう。
むしろ、
河童をユーモラスに書けば書くほど、
その裏にある「人間への絶望」が
浮き彫りになってしまったのかも
しれません。

(2026.3.4)

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