
野菊のメタファーと初恋の永遠の美化
「野菊の墓」(伊藤左千夫)
(「野菊の墓 他七篇」)岩波文庫
(「野菊の墓 他四篇」)岩波文庫
(「野菊の墓」)角川文庫
(「野菊の墓」)新潮文庫
「僕は野菊がだい好き。
民さんも野菊が好き」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。
野菊の花を見ると
身振いの出るほど好もしいの。
どうしてこんなかと、
自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き…
道理で
民さんは野菊のような人だ…。
伊藤左千夫の「野菊の墓」といえば、
私の世代では
中学生の頃(70年代末~80年代初頭)は
「日本の名作」の代表格でした。
映像化もいくつかなされ、
私も松田聖子主演の映画を
観た記憶があります。
そのときの感覚では、
日本版「ロミオとジュリエット」と
とらえていました。
四十数年ぶりに再読し、
印象はまったく異なりました。
明らかな記憶違いをしていたようです。
〔主要登場人物〕
「僕」(政夫)
…語り手。農村地域の少年。十五歳。
民子
…「僕」の従姉。十七歳。
「僕」の家の手伝いに来ていた。
母
…「僕」の母親。病弱で
病床に伏せっているときが多い。
お増…「僕」の家の作女。
本作品の味わいどころ①
二人は絶対に結婚できなかったのか?
悲恋の物語です。
周囲の無理解によって引き裂かれた
男女の悲哀を描いていることに
間違いはないのですが、改めて読むと、
政夫の母親も民子の両親も、
二人の結婚について
「絶対反対」というわけではないように
読み取れます。
終末での場面、政夫の母は
「たとい女の方が年上であろうとも
本人同志が得心であらば、
何も親だからとて
余計な口出しをせなくもよいのに」と
泣き崩れ、民子の両親は
「なんだって民子は、
政夫さんということをば
一言も言わなかったのだろう……」
「それほどに思い合ってる仲と知ったら
あんなに勧めはせぬものを」と
後悔の念をつぶやきます。
その言葉が表しているように、
二人の結婚は
現実的に不可能ではなかったのです。
民子が二つ年上であるということが、
結婚のネックになっていることは
確かです。
明治の時代、それが深く根ざしている
地域もあって当然です。
しかし当時は単純に年齢差が
大きな障壁になるわけではなく、
むしろ家どうしの釣り合いや
家の維持に必要な労働力の確保などが
重要視されていたはずです。
当時の農村部において
二歳程度の年上の嫁が
どのくらい存在していたのか、
データは探せませんでしたが、
作品における二人を取り巻く
大人たちの言葉から判断すると、
やはり年齢差が
決定的ではないと考えられるのです。
したがって、周囲がことさら
二人の結婚を妨害したというわけでは
ないのです。
「ロミオとジュリエット」とは
まったく状況が異なります。
この点を抑えることが、
本作品の本質に迫るために
必要なことであるとともに、
第一の味わいどころとなると考えます。
本作品の味わいどころ②
二人を引き裂いたものの正体は何か?
では、
二人を引き裂いたものの正体は何か?
悪意を持っているわけではない
大人たちが、民子を政夫から引き離し、
嫁がせてしまったのはなぜか?
それは「世間」という実態のない
「圧力」と考えられます。
作中のところどころに
「口の端」つまり「世間体」が語られます。
大人たちが二人を離そうとしたのは、
二人の交際や結婚を
嫌ったのでもなければ、
ましてや二人のどちらかを
嫌悪したのでもありません。
周囲の視線から
二人を守るためなのです。
それはもしかしたら
「二人のため」ではなく
「家の名誉を守る」ためであり、
「自分たちのため」であったかも
しれません。
しかしそこに悪意は存在しないのです。
誰も決定的な悪意を持っていないのに、
「世間体」というルールに従って
動いた結果、
一人の少女が精神的に追い詰められて
死に至る。
この「システムによる緩やかな圧殺」こそ
まさに日本的といえます。
この点もまた、作品理解に必要であり、
本作品の第二の
味わいどころとなるものと考えます。
本作品の味わいどころ③
野菊のメタファーと初恋の永遠の美化
しかしそれもまた
決定的な要素ではないでしょう。
最も大きな要因は、
政夫と民子の二人にあるのです。
「伝えられなかった気持ち」や
「言葉にしなかったために生じる誤解」が
結果としてどれほど
人の運命を左右してしまうか、
それこそが本作品の
テーマと考えられるのです。
政夫も民子も、互いへの想いを
はっきり言葉にはしていません。
周囲の大人たちも、
二人の気持ちを知らないまま
「良かれ」と思って縁談を進めました。
誰も意図的に二人を
引き裂こうとはしていないのです。
しかし結果として民子は心を病み、
政夫は喪失の痛みだけを抱えて
生きなければならなかったのです。
悲劇の原因は
「悪意」ではなく「無自覚」なのです。
だからといって二人を責めるのも
酷というものです。
二人はまだ自分の感情を定義する言葉を
持たないほど
純粋(あるいは未熟)だったのですから。
その「言葉にならない清らかな交流」、
つまり「初恋」は、崇高であるとともに、
きわめて壊れやすいものだったと
いうことでしょう。
「野菊」はそうした無口な初恋を
暗喩したものであり、
表題「野菊の墓」は、
単に「野菊」にたとえられた民子の墓を
指しているのではなく、
民子の墓に野菊が一面に植えられた
状況を示しているのでもなく、
いつまでも消えることなく続いている
「初恋」の喪失の痛みを
表しているものと考えられます。
野菊のメタファーと
初恋の永遠の美化こそ、
本作品の最大の味わいどころと考えて
間違いありません。
「ロミオとジュリエット」が
「外的な障壁によって阻まれた
二人の熱い情愛の悲劇」であるなら、
「野菊の墓」は
「内的な繊細さと沈黙が生んだ
静かなる悲劇」といえるでしょう。
昭和・平成の時代よりも、
自分の気持ちを表現できない
若者が増えた令和の現代こそ、
作品の本質に
迫れるのではないかと思います。
昭和の時代にブームを巻き起こした
明治の作品を、
令和を生きる若い方に
お薦めしたいと思います。
(2026.3.25)
〔我が家の書棚の「野菊の墓」〕
先日(2025年11月)、
岩波文庫から本書が刊行され、
購入しました。
実は私はそれ以前から岩波文庫旧版、
角川文庫版、新潮文庫版の
「野菊の墓」を所有していました。
三冊も買ってあるのですが、
読んだのは併録されている
短篇作品のみでした。
「野菊の墓」は昔読んで知っているから
大丈夫、そう考えスルーしていました。
改めて読むと
気づくことが多々あります。
〔「野菊の墓 他七篇」岩波文庫〕
野菊の墓
浜菊
紅黄録
廃める
奈々子
水害雑録
守の家
落穂
〔「野菊の墓 他四篇」岩波文庫(旧版)〕
野菊の墓
水籠
隣の嫁
春の潮
告げびと
〔「野菊の墓」角川文庫〕
野菊の墓
奈々子
水害雑録
隣の嫁
春の潮
〔「野菊の墓」新潮文庫〕
野菊の墓
浜菊
姪子
守の家
〔青空文庫〕
「野菊の墓」(伊藤左千夫)
〔関連記事:伊藤左千夫作品〕
「隣の嫁」

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