「人はなんで生きるのか」(トルストイ)

それが天使失格であるとするなら

「人はなんで生きるのか」
(トルストイ/中村白葉訳)
(「人はなんで生きるのか 他四篇」)
 岩波文庫

一人の貧しい靴屋が
素っ裸の男・ミハイルを拾った。
彼は靴屋の指導の下、
黙々と靴を作り、その技術は
靴屋を凌いで一流と噂された。
六年経ったある日、
靴の注文に来た婦人と
二人の女の子の身の上話を聞くと、
ミハイルは…。

ミハイルは神に許され、
天使の姿となって
天へ昇っていくのです。
ミハイルはある使命を
なさなかったために神の怒りを買い、
人間の姿でこの世に置き去りにされた
天使だったのです。
神から与えられた、
「人間の中にあるものは何か、
人間に与えられていないものは何か、
人間はなんで生きるか」という
三つの命題の解を得ることができたため
神に許されたというわけです。

貧しい靴屋夫婦が
見ず知らずの自分に対して
優しくしてくれたことから、
彼は「人間のなかにあるものは何か」
それは「愛」であることを見つけ、
一度目の微笑みを浮かべます。

特別の靴を注文しに来た富豪の大男の
背後に死に神が佇んでいるのを目にし、
彼は「人間に
与えられていないものは何か」
それは「自分の運命を知る力」で
あることを知り、
二度目の微笑みを見せるのです。

そして両親と死に別れた
二人の女の子を引き取って育て上げた
婦人の姿から、
「人間はなんで
(何によって)生きるのか」
それは「愛の力」であることに気付き、
三度目の微笑みを見せるとともに、
彼の体は光に包まれていくのです。

ロシアの民話を題材として編み上げた
トルストイの短篇作品。
哲学的であるとともに
寓話的でもあり、
現代にも通じる示唆に富んだ内容です。
ただし、宗教に疎く、
キリスト教の教義にも
通じていない私には、
胸にすとんと落ちない部分があります。
彼が神の怒りに触れた理由です。

実は天使として彼は、二人の女の子の
実の母親の魂を抜いてくる使命を
与えられていたのです。
それがその母親から懇願され、
躊躇したために罰せられたのです。

夫が死に、
自分にも死が訪れようとしている。
生まれたばかりの幼子二人の
これからを考えると
死んでも死にきれない。
それ故の懇願に対して
心を動かされたのが
天使失格であるとするなら、
神や天使とは
およそ人間とは対極にある存在だと
思えてならないのです。

いや、そのようなことを書くのは
神に対する不敬であり、
トルストイに対しても
失礼に当たるというものでしょう。
ここは素直な心で
感動に浸ることが大切です。

(2019.7.7)

Germán RによるPixabayからの画像

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