「ポトスライムの舟」(津村記久子)②

それはやはり「貧困」状態なのです。

「ポトスライムの舟」
(津村記久子)講談社文庫

昨日取り上げた「ポトスライムの船」。
芥川賞受賞作だったせいもあり、
ネット上には
さまざなま書評が見られます。
気になったことがあります。
「持ち家があって
年収すべてを世界一周旅行に
費やすことができるのなら、
なんと贅沢な話」という指摘です。

1年間の稼ぎ163万円で世界一周する、
それは贅沢なのでしょうか?
楽しむことも休むことも
すべてを犠牲にした成果としての
世界旅行。
何も欲しがらず、
それだけを夢見ること自体が
貧しい故であり、
哀しい現実であると私は考えます。
贅沢などでは決してあり得ません。

貧困の定義は多様ですので
一概には言えません。
しかし、昨日も書きました。
29歳女子で年収が手取り163万円。
持ち家があるとはいえ、
築50年のいつ壊れても
おかしくない物件。
すでに働いていない母親との
2人暮らしであることを考えると、
健康なうちはいいのでしょうが、
薄い床板一枚下には
奈落が広がっているような状況です。
十分「貧困」と言って
いいのではないでしょうか。
ちなみに厚労省国民生活基礎調査
(2012年)によれば、
日本で貧困ラインの年収は
単身で122万円、
2人世帯で173万円だそうです。

そもそも日本を含む
先進国でいう「貧困」とは、
決して食うことすらままならない
「絶対的貧困」ではないのです。
ナガセは普通の文化的な生活を
営むことができていません。
それはやはり「貧困」状態なのです。

もちろん、社会にはそれ以上に
苦しい生活をしている人もいます。
ですが、
「もっと貧しい人間がいるのだから
それくらい大丈夫だろ」というのは
近代以前の農民統制政策と
発想が変わるところがありません。

私たちの考えるべきは
「それは貧困とは言えないだろう」と
弱者の足を引っ張ることではなく、
「どうすれば社会全体が
良くなるか」という
問題解決の方向だと思うのです。

本作品は、
貧困を含めた現代社会の問題点を
浮き彫りにしています。
しかし、問題を告発するのでもなく、
また現状をいたずらに嘆くのでもなく、
その中で希望を見いだそうとしている
作品なのです。
林芙美子が現代によみがえって、
20代後半の年齢まで若返ったとしたら、
こんな小説を
書いたのではないだろうか。
ふとそんなことを考えました。

(2019.7.8)

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