「盲人独笑」(太宰治)

では、どこにどういう手を加えたのか?

「盲人独笑」(太宰治)
(「お伽草紙」)新潮文庫

葛原勾当。
失明するに及び琴を学ぶ。
十一歳、早くも近隣に
師と為すべき者無きに至る。
京都に上り、松野検校に入門、
傍ら作曲し、その研究と普及に
一生涯を捧げた。
ここには、勾当二十六歳、
青春一年間の日記だけを
展開する…。

太宰の作品の中でも際だって異色です。
大正4年に出版された
「葛原勾当日記」なる歴史書に
「ただならぬ共感」を覚え、
この盲人の生涯に関わる
短編を書いたというのですが、
額面通り素直に読んでいいのかという
疑念がどうしても起こります。
太宰ですから。

まずはこの葛原勾当なる人物が
実在なのかどうか。
調べてみると実在の人物であり、
この日記もまた太宰の記す通り
存在しているのです。

葛原勾当は
江戸末期を生きた琴の名手で、
太宰の記述通り3歳で失明し、
9歳で琴の修練に目覚め、
11歳で生田流松野検校に入門、
以来50余年にわたって
その一生を琴に捧げたとあります。
そして26歳には、
自ら製作した木製活字を用いて
自らの生活を日記として記録し、
終生途切れることなく
綴り続けたというのです。

本作品は、
3つのパーツに分かれています。
太宰による「はしがき」、
そして勾当日記の26歳部分を抜粋した
「葛原勾当日記。天保八酉年。」、
最後に太宰による「あとがき」です。
この「はしがき」と「あとがき」が
曲者です。

「その人と為りに就いての、
 私一個人の偽らぬ感想は、
 わざと避けた。
 日記の文章に就いての批評も、
 ようせぬつもりだ。」

つまり、「はしがき」「あとがき」には、
太宰の思うところは
一切書かれていないのです。
それは良しとして、
「私一個人の感想も、批評も、
 自らその中に
 溶け込ませているつもりである。」

ということは、真ん中の
「葛原勾当日記。天保八酉年。」に
手が加えられているという
ことなのでしょうか。

「あとがき」にはこうあります。
「必ずしも、故人の日記、
 そのままの姿では無い。」
「無礼千万ながら、
 私がそのように細工してしまった。」

やはり太宰は脚色をしているのです。
では、どこにどういう手を加えたのか?
「葛原勾当日記」の実物と
照合しなければわかりません。
よって私の手には負えません。

しかしながら全編を読み通すと、
太宰は勾当日記から、
盲いた勾当の人間らしい一面
(立派な業績ではなく)を丹念に
掬い上げているという印象を受けます。
けっして勾当の業績を
卑しめようなどという意図は
感じられません。
心の底からのリスペクトが
伝わってきます。

太宰は勾当の生き方に
純粋な感動を覚えたのか、
それとも何か意図的な歪曲を
潜ませているのか、
そうしたことを考えるのも
読書の楽しみの一つです。

(2020.1.10)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「盲人独笑」(太宰治)

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