「秘密の花園ノート」(梨木香歩)

本を読むことは、メアリの「秘密の庭造り」に通じる

「秘密の花園ノート」(梨木香歩)
 岩波ブックレット

作品を読み込むとは
こういうことなのか。
本書を読む度に思い知らされます。
先日、バーネットの「秘密の花園」を
再読し、すぐさま本書も再読しました。
記事を書く前に
読めばよかったのですが、
底の浅いことを書いてしまったと
恥ずかしく思う次第です。
私が敬愛する作家・梨木香歩
鋭敏な感覚は、
素人が何度か読んだだけでは
気づかなかったことを
数多く指摘していました。

なるほどと思った点の一つ目は、
第一章の
「私と蛇のほか、誰もいない」という
表現の持つ意味についてです。
家族全員コレラで死に絶え、
使用人は逃げだし、
メアリは家の中に
たった一人になってしまう、
冒頭の場面です。
想像を絶する体験のはずですが、
描写があまりに淡々としていて
違和感を感じていました。

ところが「たった一人」という状況は、
「彼女には目新しいものでは
なかった」のです。
それまでも母親から見捨てられ、
まわりにいるのは召使いばかりでした。
最初から孤独だったのです。
むしろ「宝石のような目で
じっとメアリをみていました」という
蛇の視線の描写から、
蛇との親和性を感じさせるとのこと。
そこまで気づきませんでした。

さらには、こうした小動物に
代表される「生きもの」は、
主人公の生命力をも表しているため、
物語の進行とともに
どういう「生きもの」が登場するかに
注意を払う必要があるとのこと。
筋書きの面白さだけではなく、
細かな舞台設定にも
文学的意味があるのです。
そのことを忘れていました。

なるほどと思った点の二つ目は、
「庭」はメアリそのものであるという
視点です。
メアリがディコンに「秘密の庭」の
存在を打ち明ける場面です。
「誰もその庭をいるといわないの、
 だれもほしがらないの、
(中略)
 それを閉ざしたままにして、
 死なせているのよ!」

この台詞は、彼女の魂が
彼女自身のことを
言っているのだというのです。
メアリは10歳。
生まれてから10年間、
誰にも構ってもらえませんでした。
そして庭もまた10年の間、
見捨てられていたのです。
「庭」はメアリ自身を
暗喩するものであり、
この台詞は彼女の魂が
生まれ変わろうとした
力強い生命力の現れだったのです。

それなりに読書をしているつもりでも、
自分の読み方はまだまだ浅かった。
そう痛感した次第です。

本書には最後にこんな一文があります。
「本を読む、という作業は、
 受け身のようでいて、
 実は非常に創造的な、
 個性的なものだと思われます。」

そうです。
我々が「本を読む」ということは、
本に書かれてあることから
何かを受け取り、
それによって自分の精神世界に
何かを構築していくという
ことなのだと思うのです。
それはメアリが行った
「秘密の庭造り」と一緒です。
私たちは皆、本を読むことによって、
心の中で極めて魅力的な作業を
行っていたことにも、
改めて気づかされました。

(2020.2.4)

subak214によるPixabayからの画像

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