「ゴルトベルク変奏曲」(セレンザ)

「ゴルトベルク」が少年の名前だったとは

「ゴルトベルク変奏曲」
(セレンザ/藤原千鶴子訳)
(絵:キッチェル)評論社

不眠症の伯爵のために、
ゴルトベルク少年は
ハープシコードを演奏する。
だが伯爵の要求は
次第に難度を増し、
困り果てた少年は
師・大バッハに相談する。
バッハが取り出した楽譜は、
確かにあらゆる工夫が
凝らされた曲だった…。

前回取り上げた「展覧会の絵」と同じ
セレンザによる音楽物語絵本です。
こちらは
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。
今まで何の疑問も
感じていなかったのですが、
ゴルトベルクとは
少年の名前だったとは!

バッハに音楽の才能を見出された
孤児・ゴルトベルク少年は、
バッハの取りなしにより、
カイザーリンク伯爵家の
使用人となります。
日中は下働きをしているため、
ハープシコードの練習は
夜しかできませんでした。
しばらくして不眠症となった伯爵が、
彼の弾くハープシコードに感心し、
仕事は免除されるのです。
しかし伯爵の要求する曲は
次第にエスカレート。
仕方なく少年は
バッハに相談するのです。

伯爵のリクエストは
「カノンでなぞなぞ入り、
ダンスがおどれて、ひいて難しく、
聞いて楽しい曲」。
なんだそりゃ?と
うなりたくなるのですが、
それを満たしているのは
確かにバッハの
「ゴルトベルク変奏曲」なのです。

さて、「展覧会の絵」とは異なり、
バッハの時代(18世紀)ですから、
どこまでが史実なのか
明確ではありません。
巻末の「作者あとがき」を読むと、
ゴルトベルク少年が実在したこと、
そして1741年に少年が
この変奏曲を弾いたことだけは
確かなようです。

ところが1727年生まれの
ゴルトベルクはこのときわずか14歳。
バッハのレッスンを受けたとはいえ、
1年に数回だけ、後は夜の独学です。
果たして年端の行かぬ少年が、
この難度の高い曲を
弾くことができたのかどうか…。

しかし、メルヘンチックで
温かいミッチェルの絵は、
そんな疑問を吹き飛ばし、
セレンザの創作に
真実味を与えているのです。

なにより
少年音楽に集中できる待遇をもらい、
伯爵は素敵な演奏家を手に入れ、
バッハは作品が世に出るきっかけを
得ることができているのです。
三者ともに
幸せになっているのですから、
これ以上の展開はありますまい。

前回も書きましたが、
ここから子どもたちが
読書と音楽の両方の世界に
踏み出せるなら素晴らしいと思います。
中学生に薦めたい一冊です。

ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクは
1756年に亡くなっています。
この変奏曲演奏の15年後ですから、
わずか29歳で
この世を去ったことになります。
どんな生涯を送ったのか
気になりました。
資料を探してみたいと思います。

※5000枚を超える
 私のCDコレクションの中で、
 「ゴルトベルク変奏曲」は
 かの有名なグレン・グールドの
 新旧盤2枚しかありませんでした。
 まったく不勉強でした。
 他のピアニストのものも
 聴いてみたいと思います。

(2020.2.5)

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