「最後の一句」(森鴎外)

「高瀬舟」へと連続する、鴎外渾身の一作

「最後の一句」(森鴎外)
(「山椒大夫・高瀬舟」)新潮文庫

海運業・太郎兵衛の船が難破し、
積み荷の半分を失う。
残った荷を
売りさばいた船頭から、
得た金を再建資金へと
持ちかけられた太郎兵衛は、
良心が曇り、それを了承する。
事が露見し、
太郎兵衛は死罪へ。
それを知った長女いちは…。

いちは自らの命と引き替えに
父親の命を奉行所に乞うのです。
いちの最後の一句「お上の事には
間違いはございますまいから」。
これは「高瀬舟」での床兵衛の
「オオトリテエに従う外ないと云う
念が生じた」に対応する
一文ではないかと思うのです。

ここで鷗外が描こうとしたのは「権威
(高瀬舟でのオオトリテエ)」の本質、
そして「人が人を裁く」ことの
危険性ではないかと思うのです。
「死罪」という最も重大な判決に、
誰も責任を持ちたくないのです
(それは現代でも同じです。
法務大臣は死刑執行の判子を
押したがらない、
裁判員制度を始めてお茶を濁す…)。

だから奉行所は長女の申し出を
受け取るわけにはいかなかったのです。
子ども扱いして追い返す、
菓子を渡して帰す、
責め具を見せて脅かす、…。
父親を減刑するわけにも行かず、
子どもたちを罰するわけにも行かず、
落としどころが見つからない中で、
いちの言葉「お上の事には
間違いはございますまいから」は、
奉行所にとっては
「刃のように鋭い」一言となりました。

いちの願書に対して
「権威」ある大阪西町奉行は判断できず、
さらに「権威」ある上役・大坂城代もまた
決断できず、江戸へ案件を送致します。
後日、大嘗会により
太郎兵衛が罪を減ぜられたことは、
江戸でもまた判断できなかったことを
示しています。
いちのその一言は、
はからずも「権威」の欺瞞性を
みごとに暴ききってしまったのです。

さて、鴎外は当時、
その「権威」の象徴である
官僚の一員だったのです。
したがって本作は、
官僚制度の内部に存在している鴎外の
痛烈な内部告発と
見ることができるでしょう。

本作の成立は大正4年10月。
その3ヶ月後に書かれた「高瀬舟」では、
役人・床兵衛に「オオトリテエに
従う外ない」と言わせ、
官僚機構の更なる批判を試みます。
まさに本作は「高瀬舟」へと連続する、
鴎外渾身の一作と言えましょう。

鴎外を中学生に薦めるには、
少しばかり神経を使います。
新潮文庫で考えたとき、
「雁」「青年」はやや難しいでしょう。
「ヰタ・セクスアリス」は
少し引いてしまいます。
「舞姫」はもはや古文同様で
中学生には難しすぎます。となると
「山椒大夫・高瀬舟」しかありません。
「高瀬舟」は中学校3年生の
国語の教科書に載っていますので、
本作を紹介して、
本書を推薦する次第です。

(2020.2.23)

Thomas BreherによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「最後の一句」(森鴎外)

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