「安部公房とわたし」(山口果林)

こうした本が読書を面白くしていく

「安部公房とわたし」(山口果林)
 講談社

安部公房は世界に通用する
戦後の日本文学の旗手といえます。
前衛的であるが故に一般的ではなく、
漱石太宰のように
広く読まれているとは
言いがたいのですが、
その芸術性は極めて高いと考えます。
ある意味、大江健三郎はともかく、
川端康成よりもノーベル賞が
似合っていたのではないかと
思うのです。

一方、山口果林もTVドラマにおいて、
秀でた演技を魅せる女優だったと
記憶しています
(私の好みではないのですが)。

本書は、
そうした二つの際だった才能どうしが
出会い、引かれ合い、
しかし一緒になれなかった
悲しい記録でした。
興奮して、面白くて、
一気に読んでしまいました
(もう5年も前のことですが)。

もちろん、不倫相手からの
一方的な告白本であるゆえ、
これだけで安部公房をとらえることは
適切でないことは確かです。
冷静に考えると、
安部の遺族の描かれ方も
気の毒ではあります。
文章も本人が書いたとすれば
(安部から指南を受けていたにしては)
決して読ませる文体ではありません。
冒頭の写真ページの
ヘアヌードグラビアも、著者の様々な
思いもあるとは思うのですが、
品性を下げてしまった感があります
(決して嫌いではありませんが)。
純粋な安部公房ファンなら
落胆する可能性のある内容でしょう。

しかし、
そうした減点要素を差し引いても、
本書には安部作品の執筆当時の様子が
ふんだんに盛り込まれているという
大きな魅力があるのです。
安部作品に描かれている世界の
構成要素として、
山口果林との関わりが至る所に
ちりばめられていることを知りました。
「箱男」「密会」「カンガルー・ノート」など、
安部作品のいくつかを
読み直す必要がありそうです。

なによりも本書によって、
作家・安部公房が立体的な像として
読み手に迫ってくることが
見逃せない点です。
安部の作品は、自身の感情を
素直に吐露するようなものは
一つとしてありません。
すべてオブラートにくるんだり、
別の何かに転写したり、
デフォルメしたり、
変形させたりしているため、
読み手の脳内には安部の姿が
実像を結ばないのです。
より確かな作品理解につながっていく
一冊だと考えます。

さらには、本書には
様々な芝居や戯曲、小説のタイトルが
登場しているのも嬉しいところです。
安部作品はもちろんのこと、
ロブ=グリエ「消しゴム」、
カポーティ「冷血」、
カミュ「誤解」、
テネシー・ウィリアムズ
「ガラスの動物園」…。
資料的価値を超えて
読書心をくすぐる一冊です。
こうした本が、
読書を面白くしていくのです。

出版当時
大きな話題になった本書ですが、
こうしたベストセラー本は、
ほとぼりが冷めたあたりに読んだ方が
冷静に捉えられるはずです。

(2020.3.17)

Stefan KellerによるPixabayからの画像

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