「孤独地獄」(芥川龍之介)

芥川の痛々しい魂の一端が覗いている

「孤独地獄」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

派手に
吉原通いをしていた津藤は、
同じ遊客仲間である禅超が
浮かない顔をしていたことを
心配する。
相談相手になろうという津藤に、
禅超は「孤独地獄」の話をする。
「孤独地獄」は山間曠野樹下空中
どこへでも
出現するのだという…。

地獄にはいろいろあり、
一般には地下に存在する。
しかしこの「孤独地獄」だけは
目の前に忽然と姿を現す。
自分はこの「孤独地獄」に堕ちている。
これに堕ちると物事に対して
永続的な興味を持てない。
禅超の話の骨子はこのようなものです。

禅超はさらに次のように語ります。
「転々として
 その日その日の苦しみを
 忘れるような生活をしてゆく。
 しかし、それもしまいには
 苦しくなるとすれば、
 死んでしまうよりもほかはない。
 昔は苦しみながらも、
 死ぬのが嫌だった。
 今では…」

その後、
禅超が遊客に姿を現さなくなることが
示されています。おそらく
この世から退場したのでしょう。

江戸時代の遊客二人の逸話なのですが、
前文に「この話を自分は母から聞いた。
母はそれを自分の大叔父から聞いたと
云っている。」とあるように、
話中話として存在しているのです。
この部分は、
実は本作品の中核ではありません。
肝の部分はその後にあります。
「自分もまた、
 孤独地獄に苦しめられている一人」

本作品は1916年に発表されています。
この段階で芥川は、
すでに自らが孤独地獄に堕ちていると
自覚できていたのです。
処女作「老年」のわずか二年後、
自ら命を絶つ十一年も前に、
すでに死の影が見えていたのです。

もちろん「自分」=芥川とは
言い切れません。
本作品はあくまで私小説であり、
随筆ではないからです。
しかし登場人物「自分」には、
芥川自身がかなり色濃く
反映されていると言っていいでしょう。

芥川は創作活動の最初期から
「孤独地獄」を体感していたとともに、
その先にある「死」を
すでに意識できていたのです。
そして芥川にとっての執筆とは、
(言い過ぎかも知れませんが)
その地獄から心を紛らわせるために
禅超が行った遊客遊びとほぼ同質の
ものだったのかも知れません。

芥川は、「死」と向き合い続けた
作家だったと考えます。
いや、「死」と対峙することでしか、
作品を生み出せなかったのかも
知れません。
本作品は、芥川の
そうした痛々しい魂の一端が
覗いている私小説なのでしょう。

(2020.12.10)

Susan CiprianoによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「孤独地獄」(芥川龍之介)

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