「厄落し」(和田芳恵)

和田芳恵の描く男女の想念

「厄落し」(和田芳恵)
(「接木の台」)集英社文庫

カメラマンで
大学講師も務めている小六は、
妻・千代の嫉妬に悩まされていた。
彼の写真のモデルとなった女性・
真喜子との関係を
疑っているのだ。
真喜子は別の男と
不倫していたのだが、
別れる決意をする。
そして小六は真喜子と共に…。

その晩年に、
男女間の深い想念を描いた短篇を
立て続けに発表した作家・
和田芳恵の作品です。
「不倫を描いた短篇」といってしまえば
それまでですが、
本作品にはいくつかの特徴があります。

和田芳恵の描く男女の想念①
老いた男と若い女

主人公・松本小六は
厄年を迎える四十一歳。
真喜子は二十五六歳です。
真喜子は大学での教え子であり、
現在の勤務先の部下でもあるのです。
「分別のつきそうな年齢」では
あるのですが、だからこそ
家も勤め先も、そして妻・千代も、
文字通りすべてを捨てて
真喜子と暮らす決心を行動に移した
小六の情念の深さが
ひしひしと伝わってきます。
この年齢差のある男女の関係こそ、
本作品の特徴であり、
晩年の和田作品の多くに
共通する設定なのです。

それらが、
主人公四十一歳の「過去」と、
それから十年後の「現在」の、
二つの時間軸が行き来しながら
描かれます。この、
時系列を意図的にかき乱すような
構成もまた和田作品の特徴です。

和田芳恵の描く男女の想念②
文学としての性表現

描くものが男女の深い想念と
その結果としての不倫である以上、
性的な表現が
作品の何箇所かに現れます。
その表現は
生々しく的確でありながらも、
品を失わない文学性があり、
和田作品の大きな特色となっています。
本作品では、千代との関係について
「素人が妻になった者からは
 享受できない、
 ねばっこい営みが
 小さい千代のからだから、
 ほとばしった」

真喜子のそれについては
「からだは精巧なバロメーターで、
 反応が、そのまま現れた。
 顫動や蠕動とともに、
 音響の変化も正確に伝えられた。
 頂点に達すると瞳が寄って、
 藪睨みになった。」

和田芳恵の描く男女の想念③
自己の性の在り方に向き合う

他の男との不倫を精算し、
かつ自立して生きていこうと
必死になっている真喜子。
妻に嫌気がさし、
すべてをなげうって
若い女性とやり直そうとする小六。
年齢差のある男女の
純愛物語かと思って読み進めると、
その予想を裏切る衝撃的な最後の一文が
待ち構えています。
「青酸加里を飲んだ久美子も、
 激しい女だった。」

最後の一文に唐突に現れる女性の名前・
久美子。
真喜子と暮らしはじめた後も
他の若い女性との不倫が
繰り返されたことを
如実に語っています。
純愛などではなく、
男の性への衝動こそ
描かれているものの本質であることに、
最後の最後に気付かされます。

現在となっては
かなり大型の書店の棚にさえ
存在してはいないであろう作家・
和田芳恵。
しかしその作品の持つ
エネルギーの大きさは、
決して減じてはいません。
再評価が成されることを
期待したいと思います。

※「厄落し」は
 「厄払い」とはやや異なり、
 自ら災厄を作り出すことで、
 それ以上自分に良くないことが
 起こらないようにすること。
 大切にしてきたものや、
 いつも身につけているものを
 故意に落とすと
 厄を落とすことになると
 考えられてきたのです。
 家も仕事も妻も
 捨てて落とす「厄」とは、
 いかばかりなものかとも
 思った次第です。

(2021.2.3)

StockSnapによるPixabayからの画像

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