「エゴイストの回想」(ダウスン)

薫るデカダンス、誰とも響き合わない孤独な心

「エゴイストの回想」
(ダウスン/南条竹則訳)
(「百年文庫013 響」)ポプラ社

幼い浮浪者だった「私」を
救ってくれたのは
少女・ニネットだった。
彼女は街角でオルガンを弾いて
「私」を養う。
彼女が「私」に買い与えた
ヴァイオリンは、
「私」を熱中させる。
ある日、「私」が
白い大きな家の前で
ヴァイオリンを奏でると…。

その家の女主人が
「私」のヴァイオリンにいたく感動し、
パトロンとなり、
「私」は大音楽家として
成功を収めるという、
一種のサクセス・ストーリーです。
しかしイギリスの詩人・
ダウスンの書いたこの成功物語は、
素直に受け止められない面を
持っています。

一つは「私」が簡単に
ニネットを捨て去っていることです。
白い家の主・グレヴィル夫人の
提案に従い、
自らは夫人の養子として生活する一方、
ニネットは施設に入れてもらうという
選択をするのです。
幼い「私」に、
そのほかの選択があるはずもなく、
致し方ないのですが、
そこに哀惜の念もなければ
後悔もしていないのです。
ヴァイオリンが唯一の恋人であり、
ストラディヴァリウスを
弾きたいという一心で、
つまりはエゴイズムによる
選択だったのですから。
だから表題が
「エゴイストの回想」なのです。

もう一つはそうした選択をしながら、
「私」はグレヴィル夫人をも
愛してはいない、
いや感謝すらしていないのです。
名声を得たのは
自分に与えられた才能のおかげであり、
夫人の助力はそのきっかけに過ぎないと
考えていたのでしょう。
そこにも「私」のエゴイズムが
色濃く感じられます。

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ある意味、芸術家に人間性を求めては
いけないのかも知れません。
モーム「月と六ペンス」で描いた画家・
ストリックランドも同様に人間性を
持ち合わせては居ませんでした。
芸術とはかようなものかも知れません。

それを踏まえた上で、
なお本作品に「救い」が見られないのは、
「私」だけでなく、
登場人物ほぼすべてに
「愛情」が感じられないからなのです。
「私」がニネットを愛していないのと
同じように、
彼女も「私」と距離を置き始め、
だからこそ「私」の選択を
何の躊躇もなく受け入れたのです。
「私」が夫人を尊敬していないのと
同じく、夫人もまた
「私」の才能だけを認め、
「私」自身については単なる
浮浪者としてしか見ていないのです。

無理もありません。
作者・ダウスンは、失恋、肺疾患、
父親・母親の相次ぐ自殺と、
度重なる不幸に見舞われ、
さらには酒に溺れ、病魔に蝕まれ、
なんと32歳という若さで
夭折しているのです。
作品からはデカダンスの香りが
漂ってきます。

ここで読み取るべきは
「孤独な魂」でしょうか。
アンソロジーのテーマは「響」ですが、
誰とも響き合わない孤独な心の有り様を
描いた作品とみるべきなのでしょう。
深く濃く苦い珈琲のような作品です。

(2022.7.6)

Niek VerlaanによるPixabayからの画像

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