「あの夏」(阿部昭)

男たちにくすねられた、はかない一生…

「あの夏」(阿部昭)
(「千年/あの夏」)講談社文芸文庫

幸か不幸か、この年まで
おふくろをおぶったり
抱き上げたりしたことは、
僕にはなかった。
おやおや、あの椅子はあぶない。
壊れた椅子に楽々と体重を
あずけているのを見ると、
おふくろのからだの悲しい重さが
わかるようだった…。

阿部昭の本作品は、
「おふくろ」に対する、
「僕」の悔恨の情を綴ったものです。
わずか16頁の短編作品ですが、
内容は三つの部分に分かれています。
すべて「僕」から見た
「おふくろ」の姿です。

一つめは、
夫に振り回された妻の姿です。
「僕」の父親は海軍軍人だったこと、
そのために軍港を転々とし、
一家はいつまでも
借家住まいだったこと、
平時でも父親は家庭を
ほったらかしにしていたこと、
父親が甲斐性なしだったために
戦後も貧乏暮らしが続いたこと、
そんな「僕」の家庭が
描かれていくのです。

二つめは、
長男の死に翻弄された母親の姿です。
「僕」の長兄もまた
海軍少尉となったのです。
しかし、終戦後、
白い箱となって帰って来ます。
母はその兄が夢で自分の所に
帰って来たと言い張っていた
当時の様子が語られるのです。

三つめは、
嫁にやり込められる姑の姿です。
普段、女房が息子の面倒を頼むと
「こちらも忙しいし」と
余計な一言を言うがために、
訪ねてきた友達に孫を見せようとすると
「おもちゃではない」と
女房に一蹴される始末。
うまくいかない嫁姑の姿が
描出されています。

さて、ここで注目したいのは
「僕」の関わり方です。
実は「僕」は、いずれの場合も、
自分の母親に対して
何もできないでいるのです。

幼い頃、
父親に対して無力なのは当然です。
また、長兄の訃報が届いた頃、
「僕」は思春期であり、
母親を極力避けようとするのですが、
それも致し方ありません。
しかし、家庭を持った後、
母親と女房の間に立とうとする描写が
まったくないのです。
何もできない自分。
それが母親に対する憐憫へと
つながっているのです。
「おふくろの一生が、
 僕をふくめて
 男たちにくすねられた、
 はかない一生だったという気が
 するようになった。」

ふと、我が身を振り返ると
重なる部分が多すぎて
困惑してしまいます。
痴呆が入り気が荒くなった父に
怒鳴られながら、
私の母はその介護を続けてきました。
私は長男でありながら、
事情があって女房の実家に入ったため、
それをうまく助けることが
できませんでした。
その父も十年前に亡くなり、
母が一人取り残されました。
車で十五分もあれば
足りる距離なのですが、
こまめに足を運ぶことが
できないでいます。
考えてみると
親不孝ばかりしている私です。
本作品を読み返すたびに、
反省しています。

〔本書収録作品一覧〕
あの夏
千年


子供の墓
父と子の夜
贈り物

(2022.7.11)

Sabine van ErpによるPixabayからの画像

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