「夢の国」(トラークル)

荒んだ精神と、純粋さを希求する心と

「夢の国」(トラークル/中村朝子訳)
(「百年文庫080 冥」)ポプラ社

「百年文庫080 冥」ポプラ社

だが しかし ぼくは 
病身のマリアと 
十言も交わさなかった。
彼女は 一度も 話さなかった。
ただ何時間も ぼくは 
彼女の傍に坐り、その病んだ、
苦しんでいる顔を見つめ、
そして 繰り返し 
感じるのだった、彼女は …。

粗筋の代わりに、
最も重要と考えられる部分を
抜粋しました。
筋書きなどないに等しい、
わずか11頁(ほぼ文節ごとに
挿入される一時空白を詰め、
普通の文庫本程度の行間・余白に
レイアウトすれば、
おそらく5頁程度と思われる)。
8週間過ごした伯父の家での、
病身のマリア(「ぼく」の従妹にあたる)
とのやりとり、というより
観察に過ぎません。

「ぼく」は、8週間の中で
「十言も交わさなかった」、
それに対してマリアは
病床に伏したまま、
一言も返してこない。
このあとに描かれるのは、
「ぼく」が毎日、庭の薔薇を一輪手折り、
彼女の膝元に添えることを
繰り返すだけなのです。そして
彼女の命の灯は消えていくのです。
「ぼくは 最後の薔薇を 
 彼女の手に置き、彼女は それを
 墓の中へと携えていった」

では本作品は看病日記なのか?
いえいえ、恋愛物語なのです。

今日のオススメ!

どこにも彼女のことを好きになり始めた
などは書かれていません。
しかし彼女のことを
明確に意識し始めた記述はあるのです。
「深い幸福感に 襲われるたびに、
 突然 ぼくは あの病身の
 マリアを思い出すのだった」

そしてそれは
「熱い 戦きが 
 ぼくを襲うたびに、
 あの病身のマリアが 
 ぼくの心に現れるのであった」

さらに冒頭の記述へと
続いていくのです。
「ぼく」の心は、
明らかにマリアを求めているのです。

では、マリアの方は「ぼく」に対して
どのような思いを抱いていたのか?
あるのは次の記述のみです。
「彼女の、大きな、
 輝いている目に瞬く光から、
 彼女のうれしさを
 ぼくは感じていた」

これをどう捉えるべきか?

文面通りに、マリアも「ぼく」に対して
同様の思いを持っていたと捉えるのも
当然可能です。
しかし、「ぼく」が語り手であり、
「彼女のうれしさ」を感じたのは
あくまでも「ぼく」の主観であり、
思い込みであった可能性もあるのです。
いったいどちらなのか?

さて、本作品はいわゆる「額縁小説」
(導入部・終結部の物語を外枠として、
その内側に本編となる作品を
埋め込んでいく構造形式)であり、
「額縁」部分では、8週間の体験を、
次のように表現しています。
「若々しい幸福に満ちあふれ」(冒頭部)
「喧噪に満ちたこの現在よりも
 生き生きと ぼくのなかに
 とどまっている」
(終結部)。
8週間の、言葉すら交わせなかった
マリアとの交流でさえ
輝いて見えるほど、
現在の「ぼく」の生活は
荒んでいるのでしょう。
少なくとも、対等に心を通わせられる
相手を持たないほどに。

このトラークルという作者、
どのような人物か?
ゲオルグ・トラークルは
1887年生まれの
オーストリアの詩人です。
ウィーン大学在外時から
詩を書きはじめるのですが、
同時に酒や煙草、薬物に溺れ、
素行は決してよくなかったようです。
卒業後も薬剤師や役所職員など
いくつかの職を転々とするのですが、
いずれも長続きしていません。
そして1914年、
第一次世界大戦が始まると、
衛生部隊に志願、戦場に赴き、
精神を壊します。
ついには精神病棟において
コカインの過剰摂取により
死亡(自殺)するのです。
わずか27年の短い生涯でした。

本作品は1906年に執筆された作品です。
大学入学前の薬学の実習期間中に
編まれたものです。
本作品は、荒んだ精神であった作者の、
純粋なものを希求する
心の表れとみるべきでしょうか。

〔「百年文庫080 冥」収録作品〕
バイオリン弾き メルヴィル
夢の国 トラークル
にぎやかな街角 H・ジェイムズ

(2023.2.1)

Ylanite KoppensによるPixabayからの画像

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