「一夜」(夏目漱石)

仕方ないので、そのわからなさ加減を味わう

「一夜」(夏目漱石)
(「倫敦塔・幻影の盾」)新潮文庫

「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫

三人は如何なる
身分と素性と性格を有する?
それも分らぬ。
三人の言語動作を通じて
一貫した事件が発展せぬ?
人生を書いたので
小説をかいたのでないから
仕方がない。
なぜ三人とも一時に寝た?
三人とも一時に
眠くなったからである。

文学作品なるもの、
理解不能の作品は多々あります。
その多くは読み手である
私自身の理解力の乏しさに
原因があるのですが、
夏目漱石の初期の短篇である
本作品の場合は、
どうもそれだけではないようです。
「八畳の座敷に髯のある人と、
髯のない人と、涼しき眼の女が会して、
かくのごとく一夜を過した」様子を
描いたという本作品、
発表当時から「一読して何の事か分らず」
(読売新聞)という
批評があったくらいですから、
現代の私たち(私だけ?)が読んでも
理解できないのは
無理ないことといえるでしょう。
仕方ないので、そのわからなさ加減を
味わってみたいと思います。

本作品の「わからなさ」①
曖昧模糊とした三人の人物像

「三人は如何なる
 身分と素性と性格を有する?」

この一文が示すとおり、
三人の人物像が、
まず理解不能なのです。
登場人物は具体名を与えられておらず、
一人は「髯のある人」、
一人は「髯のない人」、
そしてもう一人は
「涼しき眼の女」となっているのです。
「女」は一人であり、
その言動は区別しやすいのですが、
二人の「男」は、会話文が現れる度に
表記が変わるのですから、
ややこしいことこの上なしです。
たとえば「髯のある人」は、
「膝抱く男」から始まり、
「髯ある」「髯男」「例の髯」と
表記が移り変わり、しまいには「髯」と、
投げやりな表記へと移行していきます。
「髯のない人」についても、
「髯なき人」「丸顔の人」
「わが足を玩べる人」
「脚気を気にする人」「五分刈り」
「丸顔の男」「丸い男」「丸き男」
「柱に靠れる人」と、
表記が多様に揺れるのです。
しかも、ところどころ
「男」だけであったり、
「一人が」という表現であったり、
人物の特定を意図的に
困難にしようとしているかのようです。
その人物像はさらに理解困難です。
「女」にはどことなく
色気があるような印象を受けるだけで、
「男」二人の人物像の違いは
ほとんどわからない(私だけかも
知れませんが)のです。
この曖昧模糊とした人物像が、
作品理解を難しくしているのです。

本作品の「わからなさ」②
あるようでない、
ないようである、筋書き

「三人の言語動作を通じて
 一貫した事件が発展せぬ?」

その一文が示すとおり、
何も事件は起きず、
三人は語り合った後に、
それぞれ寝床につくだけです。
その一文の前には
「彼らの一夜を描いたのは
 彼らの生涯を描いたのである」

その一文の後には
「人生を書いたので
 小説をかいたのでないから
 仕方がない」

筋書きがないのは「小説ではない」から、
「小説ではない」のは
「彼らの生涯を描いたから」、
ということは、
本作品は三人の生涯を描いた
作品ということなのでしょうか。
「生涯」なら、
そこに幾ばくかの筋書きが
あるといえるのですが、
それが何なのか、見当が付きません。
そもそもなせこれが
「三人の人生」なのか?
あるようでない、ないようである
(かも知れない)筋書きが、
作品理解をより難しくしているのです。

本作品の「わからなさ」③
一つ屋根の下に眠る三人の関係性

「なぜ三人とも一時に寝た?」
一文に至っては、なぜこれが
必要なのかすらわかりません。
「三人とも一時に
 眠くなったからである。」
という
回答が添えられているのですが、
まさか「三人はいかがわしい関係?」
などという読み手の勝手な想像を
制したのではないでしょう。
二人の「男」の一方が、
「女」の妻か恋人・愛人であるような
関係性は、ここからは見えてきません。
三人の関係性は
もとより不明なのですが、
あえてその一文をいれた漱石の意図は
まったく不明です。
一つ屋根の下に眠る
三人の関係性の謎が、
作品理解を一層難しくしているのです。

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実は漱石自身が、何を書きたかったのか
わかっていない節があります。
同時期に書かれた傑作
「吾輩は猫である」の第六章に、
次のような件があります。
「先達ても私の友人で
 送籍と云う男が
 一夜という短篇をかきましたが、
 誰が読んでも朦朧として
 取り留めがつかないので、
 当人に逢って篤と主意のあるところを
 糺して見たのですが、
 当人もそんなことは知らないよと
 云って取り合わないのです」

(新潮文庫P.254)。
もっとも、読み手を攪乱させる
漱石の罠かも知れませんが。

わからなければわからないなりに
味わえばいいのです。
戦後作家の前衛的な作品の
「わからなさ」とはまったく異なる
漱石の「わからなさ」。
それが本作品の味わいどころです。

〔青空文庫〕
「一夜」(夏目漱石)

〔「倫敦塔・幻影の盾」収録作品〕
倫敦塔
カーライル博物館
幻影の盾
琴のそら音
一夜
薤露行
趣味の遺伝

〔関連記事:「吾輩は猫である」〕

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〔関連記事:漱石の短篇〕

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