明治の農村、気持ちだけの淡い恋愛
「隣の嫁」(伊藤左千夫)
(「野菊の墓 他四篇」)岩波文庫

「隣の嫁」(伊藤左千夫)
(「百年文庫034 恋」)ポプラ社

「隣の嫁」(伊藤左千夫)
(「野菊の墓」)角川文庫

おはまは省作と並んで
刈りたかったは
山々であったけれど、
思いやりのない満蔵に妨げられ、
仏頂面をして
姉と満蔵との間へはいった。
おとよさんは絶対に
自分の夫と並ぶをきらって、
省作と並ぶ。
なんといってもこの場では
省作が…。
隣の嫁に恋をした、などと書くと、
昼メロのような
妖しい響きがありますが、
本作品の舞台は明治の農村。
不倫どころか
気持ちだけの淡い交流です。
〔主要登場人物〕
省作
…農家の息子。19歳。中学を卒業し、
百姓仕事を始めたばかりで
うまくできない。
おとよ
…隣家の清六の嫁。
心根がよく働き者。19歳。
満蔵…省作の甥。
おはま…下女。14歳。
現代のように、
男女がベタベタと
くっついたり離れたりする
筋書きなどではありません。
しかし、省作を中心に、
明治の恋愛模様が
いろいろな場面に現れているのです。
粗筋代わりに紹介した一節には、
それが端的に集約されています。
二つの家が一緒になって
稲狩りに従事した一場面です。
おはまは省作が好きなのでしょう。
どちらが多く刈り取れるか、
省作に競争を挑むのです。
省作は19歳ではあるものの、
中学を卒業したばかりであり、
農作業は不慣れなのです。
おはまは14歳ながら、
下女であり、幼い頃から
手伝わされてきたのでしょう。
どっこいどっこいの勝負となるのです。
省作はもちろん、
おはまのことをただのうるさい
小娘程度にしか捉えていません。
当然です。
14歳でまだまだ子ども、
しかも家の下女なのですから。
一方、おはまも自分の気持ちには
まったく気づいていないのでしょう。
ただただ省作のそばで
作業をしたいという、
それだけなのです。
現代であれば大学生のお兄さんと
中学生の女の子。それなりの
恋愛の形になるのでしょうが、
明治の農村ですから、
まったくそのような兆しはありません。
だからいいのです。
省作とおはまの勝負は、
実は省作が負けているのですが、
誰にも気づかれないように
そっと稲束を付け足してくれたのが
おとよなのです。
その段階では、省作はおとよさんを
「いい人」程度にしか
感じていないのですが、
それを満蔵に指摘されてからは、
とたんに意識するようになるのです。
だからといって
何かが起こるわけではありません。
でも、心は通い合うようになるのです。
「お互いにそぶりに心を通わし
微笑に意中を語って、
夢路をたどる思いに日を過ごした。
後には省作が一筋に思い詰めて
危険をも犯しかねない
熱しような時もあったけれど、
そこはおとよさんの
しっかりしたところ、
懇に省作をすかして
不義の罪を犯すような事はせない」。
当時、好きだから結婚するという
わけにはいかなかったのです。
好きでもないものどうしが
結婚することの方が
多かったのでしょう。
おとよが嫁いだ先の清六は、
働き者というわけでもなく、学もなく、
面白みにも欠けていたのです。
ところが隣家には
自分と同い年の若者・省作がいて、
学もあり、穏やかでいい男前、
それに惚れたとしても、
誰もおとよを
責めることなどできないでしょう。
省作とおとよの恋愛は、
プラトニックなものであれ、当時
許されることではありませんでした。
実るはずもなく、それどころか
さらに悲しい結末となります。
そのやるせなさと切なさこそ、
本作品の味わいどころなのでしょう。
作者・伊藤左千夫といえば、
私の世代は「野菊の墓」が
すぐに思い浮かんでしまうのですが、
今の若い方にはピンとこないでしょう。
「野菊の墓」以外にもいくつかの
味わい深い短篇を編み上げています。
ぜひご賞味ください。
〔青空文庫〕
「隣の嫁」(伊藤左千夫)
〔岩波文庫「野菊の墓 他四篇」〕
野菊の墓
水籠
隣の嫁
春の潮
告げびと
〔「百年文庫034 恋」〕
隣の嫁 伊藤左千夫
炭焼の煙 江見水蔭
春の雁 吉川英治
〔角川文庫「野菊の墓」〕
野菊の墓
奈々子
水害雑録
隣の嫁
春の潮
(2023.10.17)

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