日記もしくは随筆のような、かつ味わい深く
「華燭の日」「痩せた雄鶏」
（尾崎一雄）（「百年文庫038 日」）
ポプラ社
「痩せた雄鶏」（尾崎一雄）
（「暢気眼鏡･虫のいろいろ 他十三篇」）
岩波文庫
娘の結婚日が近づくにつれ、
緒方は妙にせかせかし出した。
彼は、結婚にともなう
世のしきたりというものを
よくは知らない。
彼ら夫婦は、
世間なみの手続を踏まずに
結婚した。
誰にも相談もせず、
誰の世話にもならなかった。
爾来…。
「華燭の日」
ラジオが、
｢ロンド･カプリシオーゾ｣という
ヴァイオリンの
レコードをかけたので、
ああ、あれか、と
聞いているうち、
妻が台所の方から出て来て、
いきなりそれを
止めたことがある。
｢なんだ｣と緒方は云ったが、
唖然としたのだった…。
「痩せた雄鶏」
以前、｢玄関風呂｣を取り上げた
尾崎一雄の作品です。
筋書きというほどのものはありません。
日記もしくは随筆のような、
作者が体験した日々を
切り取ったような私小説二篇です。
〔｢華燭の日｣主要登場人物〕
緒方
…作家。湘南に住む。55歳。
病気が回復したものの
健康状態はまだ不十分。
芳枝…緒方の妻。
初枝
…緒方家長女。23歳。
緒方に似て体が弱い。
秋男…長男。21歳。
貞子…二女。15歳。体が丈夫。
〔｢痩せた雄鶏｣主要登場人物〕
緒方昌吉
…作家。闘病生活を送る。48歳
芳枝…昌吉の妻。36歳
｢長女｣…緒方家長女。17歳。
圭ちゃん…長男。
｢二女｣…二女。8歳。
｢華燭の日｣は、長女･初枝の見合いから
婚礼までを描いた作品です。
何か事件が起こるわけではなく、
当たり前の道筋が
記されているだけなのです。
一方の｢痩せた雄鶏｣は、
その6年前にあたる時期の、
主人公が病床に伏していた頃を
描いています。
こちらも事件はまったく起きず、
緒方の若い頃の逸話や
結婚のなれそめなどが
随筆風に並べられています。
超個性的なキャラクターが登場したり、
奇想天外なストーリーが展開したりする
近年の小説になれた方にとっては、
｢これはいったい何？｣となるような
作品です。
しかしそれが私小説なのです。
日常を切り取り、少しだけ脚色し、
読み手の前に提示する。
その分、高い日本語能力が
必要となるのでしょう。
｢華燭の日｣は、
娘の婚礼を控えた父親の心境が、
手に取るように伝わってきます。
｢嫁にはやらなければならない、
しかし、一日でも遅くやりたい｣という
ストレートな気持ちの表現は、
きわめて正直なものでしょう。
おそらく、娘を持たない方でも、
そして女性の方や若い方にも、
その心情は十分に
伝わるものとなっているのです。
一方、｢痩せた雄鶏｣では、
貧しい生活に不満を感じながらも、
自暴自棄になるのではなく、
その環境に必死に慣れようとしている
主人公の心境に
いじらしさを感じてしまいます。
貧しい生活を描いた私小説は
いくつもありますが、
宇野浩二のように
それを笑い飛ばすのでもなく、
林芙美子のようにそこから
這い上がろうとするのでもなく、
上手に折り合いをつけようと
しているかのような尾崎一雄の文体は、
両者とは異なった味わいを感じます。
二百篇あまり書いた小説の、
その多くが短編詩小説だった尾崎一雄。
ミステリやSFを書くことに比べ、
簡単そうに見えながら、
卓越した筆力が求められる
創作活動であるはずです。
｢痩せた雄鶏｣で描かれているように、
自身も大病を患い、
一時期は筆を断っていたものの、
強靭な意志力で
私小説を書き続けた作家です。
生年は十九世紀末の1899年。
二十一世紀も二十年が過ぎ、
顧みられることの
少なくなった作家ですが、
忘れ去るわけにはいかない
作家の一人です。
ぜひ尾崎一雄のしみじみとした
味わいの作品を堪能してください。
〔｢百年文庫038 日｣〕
華燭の日 尾崎一雄
痩せた雄鶏 尾崎一雄
草のいのちを 高見順
年金生活者 ラム
古陶器 ラム
〔「暢気眼鏡･虫のいろいろ 他十三篇」〕
暢気眼鏡
芳兵衛
燈火管制
玄関風呂
父祖の地
落梅
虫のいろいろ
美しい墓地からの眺め
痩せた雄鶏
山口剛先生
石
松風
蜜蜂が降る
蜂と老人
日の沈む場所
〔尾崎一雄の本はいかがですか〕
（2023.11.7）
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