「炭焼の煙」(江見水蔭)

恋をすれば野生児でもインテリでも同じ

「炭焼の煙」(江見水蔭)
(「百年文庫034 恋」)ポプラ社

「百年文庫034 恋」ポプラ社

山奥で一人、
炭を焼いていた青年・真次。
ある日、
真次が住まう山中の桜を見に、
主人一家が訪れる。
帰る段になって
主人の娘が足を痛め、
真次が背負って山を下る。
下り終えたとき、
真次は自分が背負っていた娘の
美しいことに気づき…。

恋の行方を阻むもの。
現代では「収入の壁」でしょうか。
正規採用されず、
低収入のために結婚を諦める若者が
少なくないと聞きます。
でも、本作品の場合は「身分の壁」です。
といっても
江戸時代の士農工商までは遡りません。
本作品が書かれたのは明治29年。
ただ同然に使われている
使用人の青年が、
その主人の娘に恋をしたのです。
実るはずもなければ
気持ちが伝わるはずもありません。
本作品の味わいどころは、
この真次の「恋」なのです。

〔主要登場人物〕
真次
…炭焼の青年。炭焼であった父親が
 出した山火事で大損した主人に対し、
 献身的に働き、報いようとしている。
 それが運命だと思っている。
 主人の娘に恋心を抱く。
権猿
…真次が飼っている山猿。
藤原の旦那
…真次の住む山の山主。
藤原のお嬢様
…旦那の娘。
 権猿に優しい言葉をかける。
 花見の帰り道、
 真次に背負われて山を下りる。
作左衛門
…藤原の旦那の使用人。真次から
 炭を受け取り、食料などを届ける。
白犬
…作左衛門が飼っている犬。

今日のオススメ!

本作品の味わいどころ①
恋に目覚める真次

真次は、
主人の娘に恋心を抱いてしまうのです。
山奥に一人で住まい、
女性などほとんど
見たこともなかったであろう
真次でさえ恋をする。
人間の本能として、
これは致し方ないことなのでしょう。
その恋をした真次のようすが、
本作品の
一つめの味わいどころとなっています。

体中がだるくなって
風邪のような症状を見せる、
仕事が手につかない、
食事が喉を通らない、
さらには娘が忘れていった花簪を
ぼーっと眺めている。
明治も昭和も令和も変わりません。
恋をすれば野生児でもインテリでも
同じなのです。

本作品の味わいどころ②
恋に裏切られる真次

当然、真次は恋に裏切られます。
実るはずなどないのです。
「旦那が真次を娘の婿にしたい」と
担がれて、
山を下りたまではよかったのですが、
娘の婿は当然真次などではありません。
真次は恋に裏切られるのです。
その顛末は、
笑いと涙の両方を誘います。
恋に裏切られた末の真次の行動が、
本作品の二つめの
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ③
恋を封印する真次

したがって、真次は
恋心を封印するしかなくなるのです。
「我はこれまで通り
 心の中でお嬢様を女房にして、
 それで愉しんでいれば、
 それで好かったのだ、
 どんなにでも楽しく暮されるだ、
 うむ、我の自由だ」

これをどう読み味わうか?
そこにはもはや
おかしみは見いだせません。
身分が違えば
恋は成就しないという現実に、
もの悲しさややりきれなさを
感じるかも知れません。
あるいは、人権すらないような
真次の境遇に、
時代を超えた理不尽さを
感じるかも知れません。
またあるいは、自らの恋心を制して
幸せの在り方を見つけた
真次の精神的成長に
喝采を送るべきなのかも知れません。
いくつかの問題を提起している
場面であり、
本作品の最大の味わいどころとして
捉えるべきでしょう。

ところで、問題を引き起こした原因は、
当然、担いだ作左衛門にあります。
しかし彼に
悪意があったわけではありません。
真次が娘に恋をしていることなど
微塵にも
想像できなかっただけなのです。
想像できなかった理由は何か?
真次を一人前の男として
見ていなかったのか、
あるいはまともな人間として
見ていなかったのか、
もしくは年老いて若い男の心の機微を
理解できなくなっていたか、
このあたりも
じっくりと味わいたいところです。

さて、作者・江見水蔭
初めて読む作家です。
自分の知らない明治の純文学作家
まだいたのかと、
新鮮な驚きを感じたのですが、
純文学を主として書いた
作家ではないようです。
青空文庫を見てみると、
「悪因縁の怨」「怪異暗闇祭」
「怪異黒姫おろし」「壁の眼の怪」
「月世界跋渉記」など、
エンターテインメントに
重点を置いていた作家のようです。
近いうちに読んでみたいと思います。

〔「百年文庫034 恋」〕
隣の嫁 伊藤左千夫
炭焼の煙 江見水蔭
春の雁 吉川英治

〔江見水蔭の作品はいかが〕
青空文庫化されている作品は、
こちらで読むことができます。

プリント・オン・デマンドによる
ペーパーバックが
いくつか登場しています。

(2023.11.21)

Miroslav KaclíkによるPixabayからの画像

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