
「私」が見たのは別人、それとも幽霊、いやいや…
「私的生活」
(H.ジェイムズ/大津栄一郎訳)
(「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」)
岩波文庫
数人の知人とともに
ディナーを楽しんでいる「私」は、
会話の中心となっている
ヴォードレーの姿が、
一流作家としてのそれと著しく
乖離していることに気づく。
気になった「私」は
彼の部屋を訪れるが、
不在であるはずの
彼の部屋には…。
H.ジェイムズの、
おなじみの不思議な話です。
語り手「私」が一流作家・
ヴォードレーの部屋を訪れると、
不在であるはずの、したがって
明かりもついていない部屋の中で、
不思議な人物が一心不乱に
ペンを走らせていたというものです。
さて、その正体は?
〔主要登場人物〕
「私」
…語り手。二流の作家らしい。
ヴォードレーの才能に
嫉妬している様子。
クレア・ヴォードレー
…一流作家。
芝居の戯曲を中心に執筆している。
ブランチ・アドニー
…女優。四十歳。ヴォードレーに
自分が主役の脚本を書くよう要請。
ヴィンセント・アドニー
…ブランチの夫。作曲家。五十歳。
メリフォント卿夫妻
…「私」やヴォードレー、
アドニー夫妻らとともに
バカンスを楽しむ。
本作品の味わいどころ①
「私」が見たのは別人、それとも幽霊
社交界でのヴォードレーと、
作家としてのヴォードレーは
印象が異なる。
そこから「私」の疑惑が深まり、
ついには原稿を取りに行くという名目で
彼の部屋を覗き見ることにしたのです。
出かけているはずの彼の部屋は、
やはり真っ暗だったものの、
目をこらしてみると机には人影が…。
その人物はいったい誰なのか?
以下のように、
いくつかの可能性が考えられます。
①やはりヴォードレー本人だった
②幽霊だった
③謎のゴーストライターが執筆していた
④「私」がありもしない幻覚を見た
①は、よほどのトリックがなければ
あり得ないことです。
怪奇幻想小説の得意な
H.ジェイムズですから
②はあり得るのですが、
その後の展開を考えると、
②である文学的理由が見当たりません。
本作品において怪奇色の現れているのは
この部分のみで、その後の展開に
そうした部分は見当たらないのです。
そうなると「私」の精神状態が
問題になってくるでしょう。
「私」の精神がまともなら③、
まともな状態にないのであれば
④となってくるはずです。
「ねじの回転」では、
②か④かという状況でしたが、
本作品の筋書きは
③を補強する形で進行します。
そしてヴォードレーが
「公的生活」はあっても
「私的生活」がまったく見えず、
同席しているメリフォント卿は
「公的生活」が見当たらずに
「私的生活」だけが表面に現れている、
そこから「私」はメリフォント卿こそ
ヴォードレーのゴーストライターだと
推測していくのです。
しかしそれが
決定打というわけでもなさそうです。
この、「私」が見た人物の
正体を考えることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
ブランチが美しくなったのはなぜ?
「私」は次に、メリフォント卿こそ
ヴォードレーの
ゴーストライターであることを
確かめるべく、ある計画を実行します。
作家ヴォードレーに憧れていた
ブランチを、「私」の見た人物に
会うよう投げかけるのです。
嵐の日、「私」とヴォードレーが
嵐に遭って
山小屋に閉じ込められている間に、
彼女はその人物のもとへ
押しかけていくのです。
しかしさすがはH.ジェイムズ。
それについても
何一つ明確には記していません。
「ブランチが誰かと会ったこと」は
確かなのですが、それが誰であったか、
正体がメリフォント卿だったのか
どうかなど、
一切は明らかにされていません。
「いままで見たことがないくらい
彼女が美しい」ということを
「私」に語らせ、
「私は自分の役を手に入れたわ」と
ブランチに語らせているだけなのです。
しかもそのブランチの言動は
「彼はヴォードレーより
はるかにすてきだわ」
「メリフォント卿なんて
どうでもいいのよ!」
「ちょうどあなたの話を
していたところよ、ダーリン」
(この「ダーリン」は
夫・ヴィンセントに対して)と、
終始一貫しません。
言葉をそのまま受け取ると、彼女は
脚本を書いてくれるヴォードレー、
そして密かに憧れていた
メリフォント卿に幻滅し、
自分の夫を惚れ直したということに
なるのですが、そうした経緯は
まったく書かれておらず、
しかも文章のどこを読んでも
その手がかりは
示されてはいないのです。
この、ブランチにいったい何があって
彼女は美しくなったのか、
その経緯を探ることこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
ジェイムズが本作品で語りたいこと
となると、作者ジェイムズが
本作品で語りたかったことは何かが
問題となります。
そしてそれは作者ジェイムズの
作品における分身が
「私」なのかヴォードレーなのかによって
異なってくるものと思われます。
ヴォードレー=ジェイムズであれば、
一流作家は社交の場では
才能の片鱗すら
見せないものであるという
文壇裏話の披露とも考えられます。
ジェイムズ自身がそのように
振る舞っていたのかもしれません。
もしくは作家というものは
そうした二面性を抱えているのだという
自身の苦悩の発露と
考えられなくもありません。
「私」=ジェイムズとすれば、
一流作家といわれているものの中には
実は密かにゴーストライターに
書かせている例もあるのだという
文壇裏事情暴露という
意地の悪い見方もできそうです。
「私」はヴォードレーの才能を
妬んでいる設定ですから、
それもあながち
ないわけでもなさそうです。
この、ジェイムズが本作品で
語りたいことを想像することこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
と、このように、
H.ジェイムズの作品は、
わけがわからない設定を
じっくりと咀嚼しながら考えることが、
えもいわれぬ
味わいとなってくるのです。
こうした作品を日本の読者に紹介した
訳者・大津栄一郎氏の功績は
大きなものがあるのですが、
氏の本書巻末に寄せた
「解説」がいささか気に入りません。
一つ一つの解釈を細かく提示し、
「背後にこれだけのことを
読みこまなければならない」と
言い切っています。
余計なお世話としか
言い様がありません。
勝手な解釈はいけないにせよ、
解釈の押しつけも
あってはならないことです。
読み手によって
さまざまな解釈がなりたつことこそ
ジェイムズ作品の醍醐味なのです。
ぜひじっくり読み込んで、
自分なりの解釈をしてみませんか。
(2025.8.6)
〔「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」〕
私的生活
もうひとり
にぎやかな街角
荒涼のベンチ
解説
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