
「男」「娘」そして「鴉沼」の表すものは何か?
「鴉沼」(安部公房)
(「題未定 安部公房初期短編集」)
新潮文庫
(「安部公房全集002」)新潮社
一発の狼烟が合図だった。
一九四五年、あの忘れ難い九月、
旧市街の一角から
けたたましい太鼓の音が
沸き起こった。
笛がなりあえぐような
群衆の叫びが城門を打ち倒し、
しっ黒の中にさながら息をこらす
敗れた人間の町を目掛けて…。
終戦後の満州での悲劇を題材にした、
安部公房の初期短篇作品です。
安部作品にしては
直裁的な描写の作品なのですが、
だからといって書かれてあることの
表面だけを読み取っていては
いけない作品なのでしょう。
〔主要登場人物〕
「男」
…日本人の若い男。動乱の中で負傷し、
左眼を鴉に啄まれる。
「娘」
…結婚を控えた娘。日本人。
動乱で家を焼かれる。
「男」とは十年前、恋人どうしだった。
「少年」
…「娘」の弟。姉を気遣う。
筋書きは以下の通りです。
敗戦直後の満州、
「娘」は十年ぶりに「男」と再会し、
二人は逢い引きを約束する。
その夜、満州人の暴動により、
「娘」のすむ日本人集落は焼き払われる。
すべてを捨てて「男」と駆け落ちする
決心を固めた「娘」だったが、
「男」は動乱の中、
身体にも精神にも大きな傷を負う。
「男」は「娘」の首を絞めて
殺そうとするが、「娘」に抵抗され、
「鴉沼」に飲み込まれる。
このように登場人物はきわめて少なく、
実質的には「男」と「娘」だけと考えて
差し支えありません。
「娘」の弟である「少年」も登場しますが、
それは「娘」の心情を引き出すための
役割であり、
さして重要ではないのです。
むしろ、舞台であり表題ともなっている
「鴉沼」こそ、あたかも
人間的な描かれ方がなされてあり、
こちらこそ第三の登場人物、
いや最も大きな存在といえるのです。
それぞれがいったい
何を模しているのかを考えることが、
本作品の味わい方になるはずです。
本作品の味わいどころ①
沼の底に消え去る「男」の表すもの
筋書きだけを追うと、「男」は単なる
悲劇の被害者でしかあり得ません。
しかし
「娘」とは十年ぶりの再会という設定、
再会直後の強引な印象(明日結婚する
「娘」に対して暗に関係を迫る言動)、
そして終戦直後という舞台を
考え合わせたとき、
この「男」は旧来の価値観、
もしくは日本の軍国主義そのものを
表しているという見方が
できなくはありません。
最後は「鴉沼」に落ち込み、
その姿すら残さず
消滅してしまうのですから、
なおさらです。
ただしそうなると、
彼が鴉によって左眼を失ったこと、
そして意識を回復した後には
すでに発狂しているらしいこと
(襲撃の翌日暴徒に加わっていること、
そして「娘」を絞め殺そうとしたことを
考え合わせると…)などは、
いったい何の暗喩なのか?
さらなる疑問が生じてくることも
また確かです。
この、沼の底に消え去る
「男」の表すものを考えることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
運命に翻弄される「娘」の表すもの
「娘」はあらゆるものに
翻弄されています。
再会した「男」の言動に気持ちが揺らぎ、
そして暴徒の民衆によって
その命さえ危うい状態に陥ります。
もし「男」と同じ思考で推察するなら、
彼女は日本人もしくは
日本という国そのもののメタファーと
考えるのが自然なのでしょう。
それに対して「娘」の言動もまた、
「男」同様、謎に満ちています。
なぜ突然再会した「男」と
逢い引きをする決心をしたのか?
それどころか「男」との駆け落ちを
決心したのはなぜか?
それに民衆の暴動は
どう関わっているのか?
(ちなみに彼女の婚約者は
しっかり生存している、
駆け落ちに走る必然性は感じられない)
このように、
やはり一筋縄ではいかないのです。
だからこそ、
この、運命に翻弄される
「娘」の表すものを考えることこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
舞台装置である「鴉沼」の表すもの
そして舞台装置であるにもかかわらず、
人間的な描写が連続する「鴉沼」。
「男」に対して滅びをささやきかけ、
そして結果的に
「男」を消滅させた「鴉沼」。
「男」「娘」以上に
大きな存在感を発している「鴉沼」。
まるで「神」か「悪魔」です。
どちらかと問われれば、
狂気をまとった「男」を
飲み込んでいる以上、
「神」と考えるとつじつまは合います。
しかしこちらも疑問符がつきます。
「鴉沼」が関わるのは「男」だけであり、
「娘」には一切、関わっていないのです
(ささやく場面はない)。
安部の真意はかなり深いところに
隠されているのでしょう。
この、舞台装置でありながら
人間的性格の与えられている
「鴉沼」の表すものを考えることこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
ところで、本作品には
もう一つ「謎」があります。
表題「鴉沼」はどう読むのか?
「からすぬま」でいいかと
思っていましたが、
文庫版巻末解説を読むと
以下のように記されています。
「鴉沼と書いて「うぬま」と読ませる
苗字があるが、
本作の場合は「アショウ」と
音読みする方がいいと思う」。
「からすぬま」については言及なし。
いや、「鴉沼」を「うぬま」と
読む例があるのか?
「鴉沼」という苗字そのものが
存在するのか?
もしかしたら「鴉沼」と「鵜沼」を
混同していないか?
そうしたことも含めて、
謎が多いのが安部文学です。
その謎を愉しむことこそ
安部文学の味わい方なのです。
思う存分味わいましょう。
(2025.9.10)
〔「題未定 安部公房初期短編集」〕
(霊媒の話より)題未定
老村長の死(オカチ村物語(一))
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
解題 加藤弘一
解説 ヤマザキマリ
〔「安部公房全集002」新潮社〕
虚妄
鴉沼
中田耕治宛書簡1
文芸時評
平和について
二十代座談会 世紀の課題について
絶望への反抗
中田耕治宛書簡2
物質の不倫について
虚構
ドストエフスキイ再認識について
創造のモメント
薄明の彷徨
横顔に満ちた人
友を持つということが
夜のうた
悲歌
手のひらに
悪夢のやうに
一切が僕等に
牧神の笛
芸術を大衆の手へ
蛸壺の思想
憂愁
荒野の端に
さうだ、町も村も
折釘となつて
けづりたわめられた
夜だつた
複数のキンドル氏
キンドル氏とねこ
宣言
世紀の歌
真のアヴァンギャルドに
いつごろからか
デンドロカカリヤ 雑誌「表現」版
大島栄三郎宛書簡
カフカとサルトル
灰色の交響詩
シュールリアリズム批判
「革命の芸術」は
「芸術の革命」でなければならぬ!
MEMORANDUM 1949
啞のむすめ
文学と時間
中埜肇宛書簡13
中埜肇宛書簡14
夢の逃亡
中埜肇宛書簡15
中埜肇宛書簡16
イメージ合成工場
序‐大島栄三郎詩集
「いびつな球体のしめっぽい一部分」
中埜肇宛書簡17
芸術の運命
火星の夢
偶然の神話から歴史への復帰
プリニエの「偽旅券」について
C・V・ゲオルギウ著「二十五時」
中埜肇宛書簡18
「紙片」のこと
写真屋と哲学者(ストリンドベルク作)
政治と文学
アーサー・ミラー著「セールスマンの死」
誰のために小説を書くか?
生活と芸術に体当り
愛の「巣箱」の新進作家
壁
第1部 S・カルマ氏の犯罪
第2部 バベルの塔の狸
第3部 赤い繭
赤い繭
洪水
魔法のチョーク
事業
あとがき「壁」
大きな砂ふるい
〔関連記事:安部公房作品〕



〔安部公房の本はいかがですか〕

【今日のさらにお薦め3作品】



【こんな本はいかがですか】








